害益の別なし

畑に出れば様々な虫たちや植物たちが必死で生きています。当たり前のことですが、他から食べられる存在であり食べる存在であるものはみんな必死です。それだけいつも危険と隣り合わせで生きているとも言えます。

生き物たちは食べられないために様々な工夫をしています。植物や虫は、食べられないように強い臭いを発したり毒を持ったり、棘を刺したりします。それはただ生き残るために防御しているのであり必死に生きている証拠です。

人間は害虫や益虫という言い方で虫を分別します。

人間にとって都合が悪いものは害であり、都合が良いものは益とします。大きな目でみたら全ての生き物たちは益です。しかし自分の都合で見ればそれは害になります。これは人間関係でもいえることで、自分都合で見ればすべて自分にとっては損害が発生しますが人類全体でいえば益になります。

虫たちや植物たちは別に人間に危害を加えたいから存在しているわけではありません。もちろん畑に出れば、虫刺されに遭い、植物に触れてかぶれたり切れたりします。でもそれは本来それぞれが必死に自らの身を防御しているのであり、危害を与えたいのではなく身を守っていたり必死に生きている証でもあるのです。

今は、害があるからとなんでも薬や道具を使って全て駆除しようとします。虫や植物、動物から見れば害は人間たちであり自分たちは必死に暮らしてきただけです。それを尊重してあげるなら、本来害益の別はなくなるのです。しかし今の世界の趨勢をみても、人間同士に於いてもその関係が見え隠れし自然の摂理とは離れて不自然なやり方で害を抑え込もうとしています。

そういうことを少し考えてみて、何でも害の方ばかりを見るのではなく益の方を見て活かそうとすることが本来の私たちの暮らしの智慧ではないかとも思います。

庭先の雀でさえ、チュンチュンと鳴いて周りの小虫たちを食べ楽しそうに水浴びをしているときは可愛いものですが、一たび自分が田んぼで育てている稲を食べはじめれば可愛くないと駆除するのはあまりにも視野狭窄ということでしょう。相手のことを思いやることで相手の理由も分かってあげる優しさを自然界は持っている気がします。

優しくなるためには自分の都合ばかりを優先するのをやめ害や益のモノサシを外すことからかもしれません。御互いに厳慈自然の中で必死で生きていることを尊重することで、それぞれが距離感の中で見守り合えるように工夫していくことが自然共生の法理ではないかと私は思います。

御互いに気を付けて御互いに活かし合えるような関係を深めていきたいと思います。