リーダー~責任感とは何か~

人は誰しも自分の人生に責任が伴うものです。自分自身であることは自分の人生に責任を持つということです。その自己責任を深めるとき、それは常に覚悟のことを思います。どのような覚悟を決めるか、そしてその覚悟をもってどのように生きるかということを感じます。これは生き方を決めるということに似ています。

人はどんな星の下に生まれてくるのか、それは誰にもわからずその人の持って産まれた天運だとも言えます。その生まれ落ちたところの星に従ってその人の人生が廻りますからその時々の人生の幸不幸をどう受け止めて、今の自分を受け容れていくかは自分の足で立ち、正直に人生を歩んでいくための最初の課題であろうとも思います。

正直に歩むと決めて歩み始めれば、必ず日々様々な困難に出会います。その出会いの一つ一つを大切にしていくことで、本当の自分に出会い、本物の自分の心を知るように思います。「自分になる」ということはまさに「自分である」ということであり、それは嘘偽りない素直な自分で生きていくということです。

しかしそれを邪魔するのは、今の自分に対する不足や不満、何でも他人のせいにしたりすることで次第に素直ではなくなっていきます。そういう時こそ自分に矢印という言い方を私たちはしますが、自分自身が自戒を持つことで一度きりの自分の人生で生きられ、周りのお役に立てる仕合せに出会えるのではないかと私は思います。

自戒といえば、「徳川家康の人生訓」というものがあります。自分自身の責任を自覚し、その上で自分の脚で積極的に歩くということの大切さについて自戒しているように思え大変共感しますのでご紹介します。

「人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし
急ぐべからず
不自由を、常と思えば不足なし
心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし
堪忍は、無事のいしずえ
怒りは、敵と思え
勝つことばかりを知って、負くることを知らざれば、
害、其の身に到る
己を責めて、人を責めるな
及ばざるは、過ぎたるに優れり」
(慶長八年正月十五日)

全ての責任は自分が負うという覚悟、言い換えればどんな人生であっても積極的に主体的に生きるのは自分自身だという覚悟、受け身になり逃げようとはせず、常に積極的に主体が減退しないように「全ては自分の責任である」という自分に矢印を向けているのを感じるのです。

もしも全ては自分の責任だとし、他人のせいにする人生をやめてしまえば全ての問題は自分の中にあることに気づけるものです。自分の中にあるのだから、自分の方を変えていこうということに迷いもなくなっていきます。

覚悟というのは結局は自分に矢印を向けているかということに由るのです。

どんなことも決めるのはたった一人の自分次第です。

自分が決めるからこそ、周りもまた決めることができます。自分が決めた人生はどんな結果が待ち受けていても悔いもなく、また清々しいものです。生き方を決めるということや、初心を定めるということは自分の人生を自分で歩むということを決断したということになります。

自分自身が自分自身のリーダーになることで自分自身が自分自身のことを認めますから、周りもまたその人を自分のリーダーと認めるのかもしれません。自分自身のリーダーは自分自身、リードしていくのは自分なのだとし責任感を持ち常に矢印を自分に向けて精進していきたいと思います。