人類の未来予測

昨日、新潟のカマキリ博士こと酒井與喜夫先生にお会いすることができました。以前、「カマキリは大雪を知っていた」(人間選書)を拝読し感動してずっとお会いしたいと思っていた方です。

お話をお聴きしていると、その範囲は丸ごと自然全体に及び、カマキリだけに限らずあらゆる生き物たちの声を聴いて未来を予測していました。それは単なる天気予報ではなく、人類の未来の予測といってもいいかもしれません。

人類がこれからどう生きていくか、自然災害に対してどう生き残っていくか、本来の私たちが長年何を大切に暮らしてきたかを考えさせられる機会になりました。

昔から私たちは「民間伝承」というものが口伝でたくさん残っています。それは先祖たちが、長年の自然の観察をもとに分析してきた財産とも言えます。それらはすべてマグレではなく、場数によって得られた智慧です。

例えば、本来の農家の農は、自然に精通している農の農です。今の農は、農学を優先しあまり自然の姿からの洞察を重要視しません。本来の職業の本質は、昔は学ではなく道としてすべてそのもの(自然)と対話する中で磨き上げれてきた智慧集類とも言えます。

道から離れて文字や記憶にある学だけを正しいと信じるということ自体が自然を見失っていった原因ではないかと思います。文字や記憶にないものは、そのものが必死に生きているという現実味です。現場というものは、常に真摯であり必死です。生き残るために必死ですから本来の本能が働いています。今のように平和ボケしてなまってしまったセンスではなく、本来のセンスがハタラキあらゆるものを感受感得できたように思います。

そういう目に見えないものを観る力があってこそ、見えるものを素直に観ることができるように思います。世の中は、常に見える世界と見えない世界が合わさって丸ごと動いています。見える世界ばかりを知って、さもそれだけが正しいと思い込めば見えない世界があることを信じなくなります。もしくは見えない世界だけを信じて、見える世界をなおざりにすると見える世界が知らせてくる兆しすら感じられなくなります。

自然を見つめるとき、それは見える世界と見えない世界の両方”丸ごと”で理解していくのが自然そのものの智慧の理解であろうと思います。そしてそれは、自分の手と足、目と耳、全ての感覚を遣って「カラダ」で理解していくものです。「カラダ」は見える見えないに関わらず、全身全霊で必死ですから本来の智慧を感受できるのでしょう。

それが自然の智慧そのものであり、私たちに具わっている生きる力の源流です。

酒井先生の毎年1万キロに及ぶ、数十年の観察を通した生き方から自然の周波数とは何か、本来の未来予測とは何か、そして結びの中にある声聞縁覚とは何かをもう一度見つめ直す有難い機会になりました。様々なことを学ぶには第一に謙虚さが必要で、その謙虚さは常に丸ごとで自然に寄り添うことを肝に命じたいと思います。

自然界の生き物の中でもっとも自然災害に弱いのが人間ですから、その人間がこの先の気候変動の中でどう生きていけばいいか、子ども達にも自分たちの生き方が譲れるようにさらに実践を高めて精進していきたいと思います。

有難うございました。