アイヌの生き方

現在、「祭り」のことを通してアイヌ文化のことを深めていますがアイヌの自然に寄り添う生き方に共感することばかりです。アイヌ先住民族というのは、私達よりもずっと永くこの土地に住んで暮らしてきた人々のことです。

言い換えるのなら、地球の生き物や宇宙の存在、多様化していく前からそこに存在していた先祖のさらにずっと先祖とも言える存在です。その存在を大切にすることは、今の自分たちがどのようなルーツを持っているか、そしてこれからどのような未来を生きていくのかを判断するにおいてとても大切なことのように私は思います。

アイヌの生き方は、自然と共に暮らし、自然からのおすそ分けを慎み頂くことで生きていくという生き方であったことが深めるほどに分かります。これは自然農と同じ理念で、自然を敵にせず、自然を尊敬しながら謙虚に生きる生き方です。

アイヌの文化研究者であり、アイヌ民族でもあった二風谷アイヌ資料館館長、アイヌ初の国会議員に萱野 茂さんがいます。その萱野 茂さんは、生涯をアイヌ語の保存・継承のために尽力されました。自ら先住民族の国々を巡り、先住民族の価値を再確認されました。アイヌの生き方をその萱野 茂の言葉を通して垣間見ることができます。

「アイヌはその年の自然の“利子”の一部で、食うことも住むことも、着ることも全部やってきた。今の人間は自然という“元本”に手をつけている。“元本”に手をつけたら“利子”がどんどん減ることを、これだけ経済観念が発達した日本人がなぜ分からないのか。」

自然の利子の一部というのは、自然の全体調和の中で自分たちのために分けてくださった一部ということです。これは草花や虫たち、動物たちのように一緒に生きていく中で取り過ぎず貰い過ぎないというように分限と分度を保った生き方をするということです。自然の中にあるものを少しだけ使わせてもらうというような慎み謙虚な生き方あったことを感じます。

「アイヌ民族は自然を神と崇め、自然界と共存共生し慎ましく生きて来ました。魚、野獣、山菜のどれひとつとってみても必要以上には決してとらず、他の生きもののために残し、また来年のために置いておくのです。そのような自然界の巡りをアイヌ民族はよく知っていました。」

自然界の巡りをアイヌ民族は知っていたと言います。つまり循環型の暮らしの中で、自分たちがその循環の一部であったことがよく観えていたということです。永遠や永続的な暮らし方を、何千年、何万年と生き延びてきた智慧が備わっているということでしょう。 そしてそのような生き方をどのように伝承してきたか、そのことについてはこう語ります。

「私は、大正十五年、沙流川のほとり平取村二風谷に生まれ、物心ついた昭和五~六年には祖母”てかって”に手を引かれ、山菜取に野山を歩いたものです。当時のアイヌ婦人がそうであったように、口の周りと、手の甲から肘まで、いれずみをしていた人でした。昭和の初年で八十歳を超えていた祖母は、日本語を全くといってよいほどしゃべることができず、孫の私との会話は完全にアイヌ語ばかりでした。したがって山菜を採る場合の約束事もすべてアイヌ風のアイヌ精神を持って私に教え、山を歩く時の心得から、小沢でドジョウなど小魚を捕る時には、どうすれば神様に叱られないかなどと、こまごまと教え聞かされたものです。しかも、それらの教えの多くは、ウウェペケレという昔話をとおしてだったのです。」

昔話を通して「どうすれば神様に叱られないか」を伝承していたと言います。生きていく上での原点や判断基準、その拠所などはすべてこの昔話にあったといいます。これは歴史のことで、先祖代々、どのような生き方が天道に沿ったかという天地自然の道理を自らの体験を口伝によって継承していたのです。

私達は今しかわかりませんが、本来、今があるということはそれまでの歴史があるということです。それまでの歴史を知ることはこれからの未来へ向けての判断基準を学ぶということでもあります。

アイヌという先住民族は、自然界を生き残り生き延びてきた尊敬できる民の先祖です。今のように消費社会が成熟し過渡期になっているからこそ、これからのみらいのかじ取りをしていく中で私たちはアイヌから学び直す必要を感じます。

引き続き、今年のテーマ「祭り」を通して人類の原点を深めて子どもたちに遺し譲れるものを伝承していきたいと思います。