古いということ

昨日は、聴福庵の板戸や柱の数か所をベンガラ塗りし乾燥させたあとミョウバンで仕上げを行いました。深くて温かみがあり重厚な暗い紅色は、なんど見直しても見飽きることがありません。かつては縄文以前より土器などにも使われてきたこの紅色の魅力、有史以来から大事に使われて来た染めの色に不思議と心が馴染んできます。

このベンガラは土中の鉄が酸化した『酸化第二鉄』を主成分とする顔料でのことです。このベンガラの名前の由来はインドのベンガル地方で良質のものが取られたことからベンガラニッチという地名が色名になったというのが有力な説です。日本では漢字を当てて紅柄、紅殻と書かれることもあります。

私はこの色のことを「古色」と呼んでいます。つまりは染めにも色々とありますが私たちがかつてから安心して使ってきた色には確かな意味があり、古代の先祖たちが使ったものには自然美の妙があります。草木染めなども、あの浅く澄んだ柔かい色をみていたら心が涼やかになっていきます。色は常に心の機微や感情と密接につながっており、私たちは魂の深いところで色を感じているものかもしれません。

例えば、古木なども独特な色合いを醸し出します。そのものの色に包まれているだけでどこか落ち着く思いがあります。他にも古い伝統的な工法で造られた手作りのものなども傍に置いてあるだけで和んできます。

私達が「古い」と思っているものは、その古さの中に確かな理由があるのです。今の形になっている理由は、長い年月を経て時代の篩にかけられてやはりこの形がもっとも理想だったと試行錯誤の歴史の上に存在している形なのです。

古代の色や古代のもので今の時代にまで受け継がれたものというのは、新しいものにはない原色や原点が息づいているように私は思います。

そういう原色や原点を感じることは、何がもっとも自然であるか、何がもっともシンプルであるかを本能的に直感し、感性を磨くことにも欠かせないものです。

身近の家の中に、日本の伝統の精神が宿っているというのは私たちが常に原点としているのは何かを感じさせる絶妙の先祖代々からの伝承の仕掛けなのでしょう。

引き続き日本文化を学び直しながら、日本人としての感性を磨き直して子ども達に原風景を譲っていきたいと思います。