共生の理

昨日も引き続き、自然農の畑に妙見高菜の種をまきました。畑の中にはありとあらゆる虫たちが営み生活をしています。都会に出ればほとんど見かけない虫も、畑に出れば虫を見かけないところがないほどに溢れています。

自然農にとっての虫というのは、畑にとっての大切な養分であり肥料にもなります。牛糞などで肥料を入れて肥やさなくても、虫たちの生活の中で出てくる糞や死骸が土に混ざり大切な養分になります。

そもそも自然の雑草地において、そこに畑を作ろうとしたのは人間です。それまで棲んで暮らしていた生き物たちの居場所を壊して私たちはそこに畑を耕作します。一般的にはその虫たちを薬で排除して、機械で攪拌して粉々にしたらそこにビニールハウスなどを設置して育てていくものですがそれではそれまで生きてきた生き物たちはみな生活できなくなってしまいます。

お互いに分け合い、お互いの居場所を尊重しながらお互いに生活や暮らしを営んでいこうとするのが自然農です。つまりは取りすぎず奪いすぎず、お互い思いやりを持って分け合い助け合っていこうとする農法です。

これは生き方も同じく、自分さえよければいいとし全部自分の都合でばかり動かしてしまうとその力の陰で苦しんで者たちが出てきます。しかし実際に生きていくためにはお互い食べ物を食べなければなりません。だからこそ互いにどうやったら折り合いをつけられるか、またどうやったら共生できるかを考えるのです。

自然というものはそうやって共生に沿ってお互いに助け合っています。お互いが戦いを避けて、お互いが争いがないようにそれぞれが厳しい環境へと移動していくのです。これは共生の理に生きているからであり、みんな生き物たちは戦略をもって広い地球の中で争わないでいいようにと移動し進化を経てきたのです。

今は、文化の進化よりも文明の進歩を優先し争いの方へ、奪い合いの方へと舵がきられています。共生をすれば広い地球の中で多様性を維持して永続できる暮らしが約束されていましたが人間が独占すれば地球は画一化しより狭くなり暮らしていくことができなくなるでしょう。

自分の代だけでいい、自分の生だけでいい、いまのツケは未来へ先送りとしてしまえば子どもたちがその代償を払わなくてはならなくなります。取り返しのつかない代償は、いままさにここで発生しているのです。

だからこそ、いま、ここを変えることは未来を換えることです。人ひとりの生き方の転換は人生を変えることです。そしてその一人の人生の転換があって未来は変わっていきます。

自然から学びなおすのはいつもお互いに思いやり助け合い、生きものたちと共に末永く一緒に暮らしていこうとする地球の存在です。引き続き、自然を身近に感じつつ生き方を転じて実践を積み重ねていきたいと思います。