一和の実践

人は生き方と働き方を分けると自分勝手になっていくものです。実際にどこまでが仕事でどこまでが家庭、どうやって分けるのかと考えるとわからないものです。仕事も家庭もどちらも人生と考えるのなら、どれも分かれておらず日々が自分の生き方次第ということになります。

これを置き換えると、社長と社員というものも同じものです。どこからが社長の仕事でどこからが社員の仕事なのか、どうやって分けるのかということもあります。本来、社長も社員も同じ理念で一緒に働くものであってそれは一家のようなものです。一家であれば、家人は誰がやってもいい気づいた人がやればいい、しかしその中でも家長はその役割を果たし、家人もまた役割を果たす、そこには対立したものではなく調和しているものがあります。

相対するものを調和するとき、そこには平和が生まれます。実際に、平日や仕事勤務時間だけは働き方だけを変えて生き方を変えなかったとしたらそこに生き方と働き方は対立します。しかし平日も休日も人生だからと、志に生きていくのならそれは生き方と働き方が一致して調和が生まれ平和が訪れます。この対立する考え方というのは、自分を中心に対立させているということになります。

人が自分勝手になるとき、我を通して我儘になるときすぐに事物を対立させてしまうのです。一緒にやっている人には対立はありませんが、上下左右と自己中心に相手を分けてしまうとそこに対立が発生します。

如何に相対するものを中和するか、一和するかができてはじめてその人は生き方と働き方を一致させたということになります。自分自身が本当にやりたいこと、その生き方、自分探しではなく、自分に与えていただいた天命に生きること。そういうことができたとき、人は自分に出会います。

今の時代は、自分探しと言いながらいつまでたっても自分から逃げている人がいます。本当はこんなはずではないとか、もっと自分には合ったところがあるとか、そんなものはあるはずがありません。生まれ落ちてくる場所も親も選べない自分、そういう自分が自分探しなどしても無意味なのです。分を弁え自分を慎み、自分に与えていただいた天命を感じれば、この場、この環境、この時、この自分をどれだけ一生懸命に全体のために役立てていくか、ないものねだりではなく今のある自分に感謝して自分を活かし、周りを活かしていくのが大調和になるのです。

自分探しをやめて、自分を見つめ受け容れること。その方が、自分自身を直視でき自分にもできることがあると本来の努力や苦労を味わっていくことができるのです。

相対するもの、この世の中にはたくさんありますがそれを自然に回帰するのも人間の知恵です。自然は分かれたものは一切なく、分かれていないから自然体なのです。自然体というのは、人生そのもので調和しているということです。自分自身の人生なのだから、悔いのないように日々は人生だと思ってやりきっていくことです。

引き続き、生き方と働き方のモデルを示し子どもたちに自分らしく自分の人生を歩んでいけるよう分かれているものを一和して実践を続けていきたいと思います。