自然の時機(一期一会)

昨日は自然農の畑に、今年に入って2度目の妙見高菜の種を蒔きました。1度目は9月初めに蒔いたのですが、5年目ではじめて新芽がすべて虫にたべられてしまいました。今までは蒔いても虫に全部を食べられるほどはなく、間引くほどでしたが今回はほとんどすべてきれいに食べられてしまいました。

自然というものはタイミングがあり、種を蒔く時期を間違えると芽が出ることがありません。種の方も自然の時機を見定めていて、ちゃんと実をつけて種になるためには遅すぎては結実しないのを知っているのです。しかし今度は早すぎると、新しい季節の生き物と同じタイミングで共生するよりもその前の季節に生きていた生き物たちの餌になってしまいます。早すぎてもダメで遅すぎてもダメ、このタイミングがぴったり(一期一会)というものが自然界では何よりも生き残る智慧そのものなのです。

今回は、例年に合わせて蒔き時を9月初旬にしましたがすべて虫がたべました。もういちど畑に出てよく自然を観察してみたら思うことがありました。今年は台風が何度も福岡の周辺を通過しています。現在も、福岡の北部、韓国の一部に台風が入っています。

これは北の寒気が弱く、南の温気が強く、そのため台風がここまで入ってくるのです。台風というものは、日本の最南端さらに下でいくつも発生しています。報道では日本にかかるものしかニュースになりませんが、実際は今年もすでに18号なので18回台風が発生しています。

その中でこの時期になるまで台風が福岡の北にあるのは、温暖な気候がまだまだ強い証拠です。

そう考えてみると、今までの暦通りの種まきでは早すぎる可能性もあります。本来はいなくなっているはずの虫たちが、季節のめぐりに沿って生き残っています。そうなると本来、食べられないはずのものがたべられることもあります。しかしこれもまた自然の一部を少し観察しただけで宇宙地球自然全体ではもっと大きなめぐりや循環が行われているのです。

私たちは知識の刷り込みで、スケジュールや時期、タイミングを頭で考えてはその通りにいくかのように錯覚します。しかし自然は頭で考えている通りでもなく、自分の目と手、そして心、その五感のすべてで観察し直観しなければ自然に近づくこともありません。

自然を観察してみたら、何が起きているのかがなんとなく直観できるのは今まで長い年月をかけて私たちは自然に寄り添い自然と共に生きて暮らしてきたからです。この数千年、いやこの数十年で私たちの暮らしは一変し、頭で考えた通りのことの方が常識になりいつも人間の都合で世界が動くように錯覚し刷り込まれました。

自然の畑に出てみればそういうものは一瞬で崩れ去ります。考えていたことがほとんど勘違いだったと気づき、すぐに自分を修正していくしかありません。変化というものは、まず変わらない普遍的な自然がありその自然からズレた自分自身を換えていくことを言います。

世の中のすべては宇宙の運行、自然の摂理、太古から続く大道によって営まれていますから目先のちょっとしたらことだけをコントロールした気になったとしてもそれはまったくの勘違いで私たちは無理に思い込み刷り込んでいるだけだということでしょう。

自然をもっとよく観て、自然から学び、分かった気にならないように自戒し、妙見高菜と一緒に生き方と働き方を変革していきたいと思います。