場の共有

人間は、「場を共有」することで共存共栄してきた生きものです。ここでの場とは、同じ空間と時間を一緒にするという意味です。同じ空間と時間をというのは、人生は生まれてきた中で色々な人たちとご縁があります。その一度きりのわずかな時間に、誰と一緒に生きていくか、誰と時間と空間をシェアしていくかということでその人生の質は決まります。

つまり人生は、場によって創造され場によって演出され場によって顕現するということです。だからこそ、場の共有は同じ時代、同じ場所、同じ空間を共にする仲間との大切な分かち合う時間だとも言えます。

人生は、色々な目的がありそれぞれに志があります。これだけ多くの人間がいても、一生のうちで関わるのはわずかな数です。そのわずかな数によって人生は彩られ、その奇跡とも言えるような組み合わせによって体験する内容が異なっていきます。

あの時、出会うことがなければ、あるいは、あの時一緒の場に遭遇しなければと、一期一会に人は場によってあらゆるご縁を導きだしていきます。

そしてどのような場を体験したいかという、それぞれの目的に合わせた夢や理想に向けて人は場を重なり合わせていくように思います。それがまさに「場の共有」の実践なのです。

それは家庭でも然り、職場でも然り、ライフワークでも然り、どのような人と、どのような場にしていくかは人生にとって大変重要なテーマであることは間違いない事実です。

だからこそ「場の共有」と正対し、どのような場を創造していくかは一人一人の主体性と責任が関わるものです。場を整わすことも、その場を活かそうとするからであり、場を清めるのも、場の目的を明確にして場を高めるためでもあります。

私の主催する場の道場は、場にこそいのちの原点があり、場にこそご縁の真髄があると確信しているものです。場によって人が変わり、場によって世界が換わる。これからの時代、新しい場の共有が人類の進む道に大きな影響を与えるはずです。

子どもたちのためにも、場を深め、場を譲り、場を遺していきたいと思います。