生き方と死に方

人には無数の生き方があるように、同様に死に方というものがあります。どう生きるかを常に優先して歩んでいますが、死に方もまたその生き方の一部として存在しますから最期の瞬間も生き方が出てくるのです。

私の親友はとてもやさしい人で、すぐに遠慮するタイプでした。気を遣いすぎてかえって迷惑をかけるようなタイプです。なので大切な人に迷惑がかからないように配慮しながらあまり我儘を言いませんでした。一方的に大量に与えるのが好きで、何かをもらう方はあまり得意ではありませんでした。強いて言うなら、自分勝手なところがあり自分のペースで周囲と同調するのが苦手だったように思います。

集団行動や、イベントなども平均的な参加の仕方がせずにすぐに他所の方へと遊んでいました。他にもオタクでお笑い気質があり、滑稽な写真や動画、ダジャレなどもよく携帯で送ってきました。自分のことや体には無頓着で、余計なことをしてはおかしな怪我ばかりを繰り返していました。何より家族思いで、家族をいつも優先していました。

そういう彼でしたから死に方も両親に聴いたら、まさにそんな死にざまだったようです。

それを聴いて改めて深く気づくことがありました。人は死ぬときはわかりませんが、死に方は自由にできるということを。そして死ぬ理由もまた、その生き方の集積の影響を色濃く受けて死にます。

自分の場合の死に方を想像してみたらおおよその未来の予測がついてきました。もちろん、ご縁の組み合わせでこれが病死なのか、事故死なのか、あるいは何かの死でしょうが死に方はきっと今の生き方のような死に方になるでしょう。

きっといのちを全部出し切って、やりきって電池切れのような感じでしょうか。周囲を思いやり、真心を盡しているでしょうか。あるいは、一期一会に最期まで諦めずに感謝しているでしょうか。

個人的には旅は見送るよりも、先に出ていく方が好みですが最後はどうなるのか。きっといつもの好奇心に任せてなるようになるでしょう。

親友の死は、思い返せば親友らしい死に方でした。だからこそ、生き方を考えさせられる切っ掛けをまたいただきました。どんな生き方をするかは、今の自分でも決めることができます。悔いのないように、死までの残りの人生を生き方を磨いて歩んでいきたいと思います。