永遠の親友

私には幼馴染で親戚、そして親友がいます。何でも言い合え、嫌なことでも真摯に正面から語ってくれる朋です。半世紀近く、別に一緒にいなくても居ると思っているだけでいい存在。その朋が一昨日、私より先に天国に逝きました。まだ信じることができず、心は置き去りのままに涙しながら書いています。

ここ数年、立て続けに私の大切な人が亡くなりました。その都度、心配させないように感謝して前に進もう、そしていただいたものをお返しできるように自分を真摯に生きていこうとしてきました。みんな大切な人で、見返りも求めずに本当に偉大なものを与えていただきました。涙しても、前に進もうと何とかやってきました。

しかし親友の死がこんなに辛いことだとは思いませんでした。

理屈では納得できない深い寂しさがあり、ひどいことをする奴だと悲しい怒りしか出てきません。たわいもないことが悔しいのです。ふざけあった日々がつらいのです。死別を想像していなかったことが苦しいのです。こんなバカなことがあるかと、恕せないのです。

本当にひどい。

ただひどい悲しみと恕りだけです。

自分が先に死んだら後のことを頼もうと色々と考えていました。家族のこと、子どものこと、他にも気になることは全部、、勝手に自分よりも長く生きるはずだと信じこんできました。だからひどいのです。ひどいのはきっと僕です。

いつからこうなっていたのか、思い出せません。

最初にご縁があった時から、ずっと親友で幼馴染で親戚です。ただこの世に存在して生きているだけで他は要りませんでした。その大切な居るだけで存在していることができなくなりました。

本当の親友とは、唯一無二です。そしてこれからもずっと唯一無二です。彼は永遠になりました、永遠に親友です。ひどいけど、もし自分が逆だったら彼は寂しくてきっと酒をあびて死んでしまうでしょう。だから私より先に死にました。親不孝なやつです。でも本当に善いやつでした。唯一無二のいいやつでした。彼を心から誇りに思いますし、親友だった私も誇りに思います。

こんなことなぜブログで書くのかと思う人もいるかもしれません。沈黙すべきだと。しかしこのブログは私にとっての生の一部であり、私の生きる道です。こんな時だからこそ、親友と私のために綴りたいのです。

人の死も生の一部というのは真理です。その大切な一ページもやっぱり感謝で括りたい。

 

朝焼けの 山に降り立つ なみだ雲 天の盃 いのち飲み干す

 

これからお通夜ですが、永遠の親友は自分勝手。勝手に逝った彼と勝手な私で共に自分勝手に労いたいと思います。

感謝と一期一会。