動物たちとの暮らし

私はむかしから動物好きで、子どもの頃の夢は動物園の飼育係になることでした。色々と周囲から反対され気が付けばその夢はなくなっていましたが大人になってから自宅で様々な動物を飼う機会に恵まれました。

動物を飼育するというのは、動物を最後まで責任をもって看取るところまで一緒に暮らしていくということでもあります。犬であれば、もう5代目になっていますが毎回、喜びも悲しみも共有しています。家族のように毎日、顔をみて体調を心配し散歩をししては暮らしを味わいます。そして私よりも先に年老いて死んでいきます。病気になれば、病院にいき、看病を続けます。何回も死んで気が付くと5代目になりましたが、それでも犬がいる暮らしの仕合せの方が悲しみよりも大きく、子どもたちが犬との暮らしを望むうちに増えていきました。

他にも、ご縁から猫を飼ったり今は烏骨鶏などもいます。やはり寿命が短いから、みんな看取っていきます。その都度、悲しみもありますが想い出は増えていきます。

飼育というのは、一言でいっても色々とあります。

動物をまるで物や機械のように、商売のためだけに利用して消耗させては交換すればいいと思っている人たちもいます。特に、現代は動物が人間にとって単なる消費材になっているかのような扱われ方をしているところが多くあります。

私の家の烏骨鶏たちは、環境も餌も自然のものばかりで広い場所でのびのびと育っています。もう十数年生きて、みんな高齢化で私が介護をしているような状態ですが鳴き声や存在にいつも癒されています。しかし以前、ある養鶏場を見学したら狭いところぎゅうぎゅうに入れられ、たくさん卵を産ませるようにストレスを敢えて与えて、抗生物質入りの餌や不衛生な環境で育てているところもありました。まるで物のように扱い、使えなくなったら捨てるか肉にして売るという具合です。

気が付けば、牛も鳥も馬も人間と長く一緒に暮らしてきた動物たちは人間の欲望によってその大切な生涯を奪われています。

本来は、すべてのいのちや生き物は公平に自分の生を自分らしく全うするように平等に生を与えられていました。それが自然の共生の原理です。しかし、今ではその自然の共生は崩れ人間がつくりだした仮想の社会が自然というように刷り込まれています。

動物に生まれたら、どんな一生を送るのが仕合せなのか。決して先ほどのように、物や機械のようにいのちを粗末に扱われたくないはずです。今の時代、こんなことを思うことすらもなくなってきましたが家に動物たちがいることで自分も気づきやすくなります。

動物とも共生するような暮らし、本来の自然との共生との生き方を敢えて取り組むことで動物たちと共に知恵を子孫へと繋いでいきたいと思います。