実践を祈る

昨日は、伝統在来種の堀池高菜の種を蒔き直してきました。ここ数年は安定していましたが、気候変動で予測が全くつかず、雨がつづいたり、猛暑が来たり、秋に入っても気温が激しく変化しています。2週間前に蒔いた種はほとんど芽吹いてなく、さらにはイノシシが長雨でマルチなども掘り起こしていてすべてやり直しでした。

本来は、9月中旬頃に蒔くのですが今年は10月に入ってから蒔いています。私はあまりスケジュールでは動いておらず、タイミングを見計らって動いています。しかし、昨年はいつ蒔いたかというのはスケジュールで確認するのですがその通りしてうまくいったことはほとんどありません。

この9月10月の間は、風の状態、雨の状態、朝露の様子、また虫の分布状況、夏草の枯具合などをみながら判断していきます。今年は、夏草の繁茂が著しく、古代に戻ったかのような繁栄ぶりです。草刈も追いつかず、葛なども勢いがまだまだ残っています。

よく考えてみると、地球温暖化であらゆる生き物たちはその気候変動に合わせて変化しています。ここ数十年で起きた変化は、確実にあらゆる生き物たちの進化に影響を与えています。

私たちの身体も自然の一部ですから、身体にも変化が出ています。いくら便利に薬やサプリで調整しても、その場しのぎでは変化に順応していけません。

私たちは古代より、自然を観察しては自然に従って生きてきました。周りの作物の様子をつねに語り合い、おかしな変化があればみんな先回りして備えていました。それは農家だけではなく、医者、そしてお坊さんに至るまで自然の変化に精通していたように思います。

話が変わりますが、経塚というものと最近ご縁がありました。戦乱の時代に、仏教の教えが衰えたとき平和を願ってお経を埋めて場に祈ります。

時代はそれぞれに人間の問題もあれば、環境の変動もあったでしょう。それをどのような知恵を生き抜いてきたか、それが歴史の知恵であり学びでもあります。

子孫のためにも、自然と共生しながら人類がどのように歩んできたかの行く末を祈り、実践を磨いていきたいと思います。