平和のために

現在、ロシアとウクライナの戦争が激化してきて報道で一般人が大勢被災している映像が流れています。暴力というものは、どの時代にもありますが改めてそれを目の当たりにすると平和であることの大切さを思い出します。

平和とは、永遠に和み続けている状態のことです。

これは力で乱暴に何かを押し付けるのではなく、みんなで分け合い分かち合っているものです。誰かだけが富を独占したり、誰かだけが権力を維持したり、誰かだけが特別扱いされる環境ではなく、地球に一緒に生きる大切な仲間としてみんなで苦しみも喜びも仕合せも分かち合っている心がそのまま和んでいるということです。

差別せずいのちを尊重し、いのちを大切にする。いのちには違いがないからです。そのいのちを粗末にせず、いのちを乱暴に扱わない。これは地球の平和をさらに育てます。私たちに真の教育の意味があるのは、本来は人類が平和を司るための知恵なのです。

人類は傲慢になると謙虚さを失い戦争をします。戦争をしてまたいのちの有難さや大切さを学びます。本来は、わたしたちは小さな虫から植物、動物にいたるまであらゆるもののいのちを尊び、その寿命を大切に分かち合って暮らしてきました。伝統的な和の暮らしは私たちが傲慢にならない一つの仕組みであり知恵でした。

現在の教育は偏差値や成績ばかりで他と比較し競争させ、知識一辺倒で思い込みばかりを増やし仮想に偏っています。本当は、自然のなかで一人ではないことを知り、平和を学ぶのが教育の本義であったはずでそれが市場原理や経済優先の社会で蔑ろにされてきています。

そういう人が教育され大人になり社会にでて、平和を望むのか。むしろ孤立し戦争の温床をつくっているかとさえも思います。自分のいのちを大切にすること、自分以外のいのちもまた大切にすること。それをいつまでも忘れないようにみんなで平和を保とうとしたのが「暮らし」だったのでしょう。戦争は暮らしが破壊されるときにすでにはじまっているのです。戦争をする人の暮らしはほとんど破綻しているからです。

私が「暮らしフルネス」を提唱するのもまた永続する平和のためなのです。

日本人の親祖をはじめ先人たちもそれを知っていました。きっと戦争の苦しみのなかで必死に平和を生きる方法をみんなで悩み対話して考え抜きました。そこからみんなで一緒にお米作りをして藁ぶき屋根を葺き、自然の素材を最後まで大切に使い切るような意識でみんなでいのちをもったいないと寿命を丁寧に使い切ったのではないかと思うのです。これが子孫の平和と繁栄のためだと信じていたからでしょう。

今こそもっと長い目線、縦の歴史を学び直すことだと私は思います。

今、戦争が起きていますがもっとむかしも同じように戦争はありました。暴力で苦しんだなかで今の平和をつかみ取ってきました。それを忘れないというのは先人や先祖たちの願いや祈りを忘れないことではないでしょうか。仏壇や神社を拝むのも、私たちはその先祖の祈りや願いを受け継いでいる存在だからでしょう。

私たちに今できることは、ただの正義のぶつけ合いや正論の押し付け合いではありません。そして運動ではなく、「実践」が必要だと私は思うのです。その実践とは、何か、それは一人一人の暮らしをととのえていくことです。一人一人の暮らしから立て直すのです。

身近なことでも戦争は防ぐことができます。それは一人一人の小さな実践、1人の100歩よりも100人の一歩が大切だと思うのです。これ以上、戦争の犠牲者が増えないことを願い、子どもたちのためにも暮らしの実践を通して祈りをカタチにしていきたいと思います。

 

和やかなテクノロジー

最近、ある人の紹介で「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)のことを知りました。これはシンプルに言えば、人、情報、自然が一体になって調和したテクノロジーのことを言うそうです。

もともと今のような情報社会になることをユビキタス・コンピューティングの父とも言われる有名なエンジニア、マーク・ワイザー氏はすでにその当時から予見していました。そしてそのワイザー氏が、現代のようなユビキタス・コンピューティングの時代に「カーム・テクノロジー」というコンセプトが必要になると予言していました。

このコンセプトは、テクノロジーが暮らしの中に溶け込み、自然にそれを活用しているという考え方です。このコンセプトは約四半世紀を超えて、人類に求められてきているテーマになっているということです。日本でも、この考え方を実装するためにmui Labという会社が京都に創業しています。この会社が監修したアンバー・ケース著の『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(BNN 2020年)にわかりやすくその内容の一部を整理しているので紹介します。

「テクノロジーが人間の注意を引く度合いは最小限でなくてはならない」

「テクノロジーは情報を伝達することで、安心感、安堵感、落ち着きを生まなければならない」

「テクノロジーは周辺部を活用するものでなければならない」

「テクノロジーは、技術と人間らしさの一番いいところを増幅するものでなければならない」

「テクノロジーはユーザーとコミュニケーションが取れなければならないが、おしゃべりである必要はない」

「テクノロジーはアクシデントが起こった際にも機能を失ってはならない」

「テクノロジーの最適な容量は、問題を解決するのに必要な最小限の量である」

「テクノロジーは社会規範を尊重したものでなければならない」

もともと、この「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)はなぜ必要になるのか。これは私なりの考え方では、自然を尊重するなかで如何にテクノロジーとの共生をするかは人類が生き延びるための普遍的なテーマだからです。これは避けては通れず、やり過ぎればどの文明も自分たちの技術によって滅ぶのです。これは歴史が証明していますからいつの時代でもその時代に生きる人が取り組む課題になるのです。そしてこの課題が発生する理由は、そもそも道具というものを使い進化するということの本質にこそあります。

元来、道具というものは、全て使い方から産まれるものです。そして使い方は、使い手の人間力そのものによって最大効果を発揮します。使い手が如何に人間的な徳を磨いてきたか、そしてその徳を積む環境の中で道具と調和をはかったきたか、そこには時代に反映された生き方と働き方があります。

道徳と経済の一致の話も同様に、人はどの時代においても謙虚や自然への畏敬、そして自分たちの文化や歴史を洗練させてきました。この時代においても、それは必要で今の時代は特にテクノロジーで便利になり過ぎているからこそ危険なのです。

自然環境が破壊されるのもまた、その行き過ぎた消費文明の中の技術主義にこそあります。技術が技術を調和するには、確かに私もこのカーム・テクノロジーが行き過ぎたテクノロジー依存の人類には必要だと実感しています。道具だけ進化させても人間力が伴わなければ片手落ちになるからです。それは、今の人類の核の利用をみても明白です。

私ならこういう時は先人に倣います。自立した先人たちがずっと大切にしてきた伝統的な日本の和の暮らしをととのえながら、その時代に発明された道具を必要最小限で最大の効果を発揮する仕組みを知恵として生活に取り入れるのです。

私が提唱する暮らしフルネスは、古民家の懐かしいもの、宿坊の仙人的な知恵に囲まれていますが文明のテクノロジーは否定していません。むしろどれだけテクノジーを人間力で高められるかに興味がありそれを実現させようと取り組んでいるのです。これを徳という砥石を使ってやりましょうと話しているのです。言い換えれば、私なら穏やかではなく「和やか」というでしょう。そしてこの和やかな暮らしこそ、人類を救うと私は確信しています。

和やかなテクノロジーを、この日本、この福岡の地から発信してみたいと思います。

伝統を守るための革新

ついに長年、農作業や私のハードな仕事を支援してくれていた軽トラックが廃車になることになりました。まだまだ乗れると思っていたら整備工場からも難しいと連絡が来ました。最後の仕事は、冬の英彦山での悪路での荷物運び。寒さ厳しい山の中で、頑張ってくれたこともありお別れが寂しく昨日は色々と思い出を振り返りながら掃除をしました。

これからまた新しい取り組みが始まるこのタイミングで、交代になりますが本当にこの軽トラックに私は支えられています。

改めて、軽トラックの歴史を調べるとそのはじまりはいつだろうかと思うと江戸時代の大八車にまで遡ります。つまり荷車こそ、軽トラックの原型ということです。そこから、1957年にダイハツからオート3輪が発明されます。これは前1輪、後ろ2輪の貨物車です。他にもマツダ、新三菱重工業などがこれを製造しました。

そして軽トラックの形になったのは1955年。スズキが同社初の4輪車であるスズライトを発売。そして1960年には東急くろがね工業がくろがねベビーという軽4輪トラックを開発します。これが現代の軽トラックの元祖と言われます。

私が今まで乗っていた車はスーパーキャリイでしたがこの原型の「キャリイ」はスズキ初の量産4輪車にして初の軽自動車である「スズライト」のトラック仕様として登場したものです。1966年にスズライトが取れてキャリイになりました。ずっとむかしから大きくモデルチェンジしていませんから、古い感じに思われていたからかあまり軽トラックがかっこいいとは言ってもらえません。しかし、この形が普遍的であって乗りやすく、私自身は軽トラックのこのもっとも機能的で合理的な姿を尊敬しています。

今回、入れ替わる新しい軽トラックはやはり同じくスーパーキャリイですがキャビンを長く伸ばしたものになります。これはシート後部が広くなり、シートも倒せるようになっていて荷台も工夫されています。しかも色を深いグリーンにし、英彦山や農地での景観に入っても違和感がないようなデザインのものにしています。

伝統を守るために、どのメーカーも革新を続けます。私はこの軽トラックは、見事にそれを実現しているように思っています。何よりも大切なのは、目的や初心を失わずに時代の価値観に合わせて微調整を続けていくことです。

今までの感謝とこれからの感謝を忘れずに、学び続けていきたいと思います。

漬物をつなぐ

昨日は天日干しした伝統の堀池高菜を仮漬けしました。ここから1週間近く漬けてから、本漬けといってウコンなどを加えて木樽に移動して他の高菜と合わせて漬けこみます。

もう11年近く漬け続てけていますし、もともとは百年以上続く老舗の高菜の菌が棲みついていますからそこで漬けることで独特の風味を産み出してくれます。種のことをブログで書きましたが、実はこの菌との共生や生き方もまた伝承していきたいものの一つです。

漬物というのは本来保存食でもあり塩は私たちの健康を守る大切な食材でした。ローマ時代には、塩が給与で支払われていたことで今のサラリー(給与)の語源になっているともいいます。かつての日本の食文化である一汁一菜は、ご飯とみそ汁と漬けもののことでした。塩とご飯、おむすびもですがこれが私たちのいのちを長年支えてきた基本のものです。

現代の塩はあまりいい塩がなく、むかしの塩づくりは自然に沿っていましたから健康を維持するのには欠かせないものでした。縁あって今、100年前の梅干しを一壺いただいていますがその塩は今でもしっかりとしていて味も美味しいです。100年以上保存できるものは、この塩が関係していることをそこから学びました。

漬物の原理は、塩の浸透圧を使います。浸透圧は、水がもともと濃度を一定に保とうとする力のことです。野菜の中の養分が外に出て、その分、塩が中に浸透していきます。その養分が菌たちの繁殖の栄養になり発酵してその野菜を別のものへと転換していきます。

重しをのせますが、これも水分を出やすくなるのと重力の力をつかい沁みこませて安定させる効果もあります。この野菜の水分で野菜が漬かることで漬物は完成します。空気に触れると腐敗菌が発生するので、塩分のある水の中に漬かることで腐敗よりも発酵を促進させます。

後は、塩分濃度さえ調整していけば、何年でもその漬物を食べ続けることができるのです。体にとっては、発酵した菌を取ることで腸内フローラも元氣にし、腐敗を防止します。漬物を食べると元氣になるのは、この発酵の仕組みをそのままに体に用いているからです。

いい塩、いい菌、いい野菜を食べ続けることで私たちは健康の基本を保つことができていました。今の時代のように多様で飽食の時代は、健康を保つことが難しくなってきています。医療がその分、発展発達して治療もできるようになりましたがその分、治療費もかなりの額になっています。この時代に生まれてきたらこれが当たり前なのかもしれませんが、本来の健康環境とは程遠くなっているかもしれません。

時代がまた揺れ戻され、何らかのかたちで治療ができなくなってきたらきっと私たちの日本もまた一汁一菜に回帰する日もくるかもしれません。その時、この漬物を守ること、塩を守ること、智慧を守ることは子どもたちのためになります。

今、やっていることを信じて、粛々と繋いでいきたいと思います。

時代と人生の記録

私たちは歴史を生きていますが、その時に何よりも重要になるのは記録です。どのような経過で何をしてきたのか、それを遺すことはとても意味があることです。それを読むことによって、私たちはその出来事から真実を学ぶことができるからです。

ちょうどヨーロッパで戦争がはじまり、第二次世界大戦の頃のことを知りたいと思うようになります。あの時の虐殺の歴史や人種差別、あらゆる人間の行いがどうでったのかを考え直すのです。

アンネの日記というものがあります。

ユダヤ人迫害から潜伏していた場所で書き綴った日記です。この日記はアンネの一家が拘束された後、秘密のアパートで見つかりました。今ではその日記が世界中であららゆる言語で出版され多くの人たちに読まれています。

私たちは、その人生の記録や記憶は空間にいつまでも遺っています。しかしそこにアクセスするには、その空間と繋がっているキッカケが必要だったりもします。もちろん、遺跡や建物、そして暮らしという媒体でアクセスすることもできますが日記や詩などもその方法の一つです。

今の時代、あの頃に何が起きたのかを思い出し私たち人類は大切なことを忘れていないかを再確認する必要性を感じています。

アンネの日記から、いくつかの言葉を紹介します。

「私は理想を捨てません。どんなことがあっても、人は本当にすばらしい心を持っていると今も信じているからです。」

「私達は皆、幸せになることを目的に生きています。私たちの人生は一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。」

「あなたのまわりにいまだ残されているすべての美しいもののことを考え、楽しい気持ちでいましょう。」

「澄みきった良心は人を強くする。」

「たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを私は今でも信じている。」

「私が本や新聞記事を書く才能がなくても、いつでも自分のためには書くことができる。」

「私は、また勇気を奮い起こして、新たな努力を始めるのです。きっと成功すると思います。だって、こんなにも書きたい気持ちが強いんですから。」

「私は、死んだ後でも、生き続けたい。」

私もブログや日記を毎日、書き綴っています。アンネには会ったことはありませんが、共感することがたくさんあります。こうやって書き綴っている間は、まるでそこにいるかのように日記を通して語り合うことができます。

時代を超えても語り合えるものにこの記憶や記録があるのです。

時代は変わっていきますが、どのとき、どう生きたかという魂の声や勇気を分け合いながらその時々の人生の記憶を子どもたちのためにも記録していきたいと思います。

危機に備える

今回、ウクライナとロシアのことでウクライナの人たちが「まさか本当に侵攻してくるとは」とほとんどの人がショックになっていたというのを報道で見ました。私たちも外から見てて、世論も最初は脅しや一部の地域だけの侵攻かと思っていたら全面的に侵攻していきそこでまさかと考え始めます。そして第3次世界大戦が起きるのではないかと、それも今でもまさかそんなことはを思うようになっているはずです。
コロナの時も、想定外が発生して初動が対応できなかった国もたくさんあります。そして今は、戦争が発生してどのように想定外に対応するかが試されているのです。
昨日は、原発を攻撃したという報道が流れました。その時、私もまさかそんなことがとショックを受けましたが戦争ですからこれは当たり前に想定されることです。しかし、そんなことは起きてほしくないと思っていることや、まさかそこまではしないだろうとバイアスがかかっていることに気づきます。
本当の危機は、自然災害よりも人間の人災の方が確率も高く衝撃も大きいものです。これから世界がどのようになっていくのか、思考を停止させず危機に備えて動いていきたいと思います。

平和を持続させるために

私は、20年間、子どもに関わる仕事をしてきました。その子ども観というものは、子どもは生まれながらにしてすべてが備わっている完全な人間そのものであるというものです。

人間そのものというのは何を言っているのかというと、人間とは徳そのものであるということ。もう一つ進めると、もともとのいのちはすべて徳であるというものです。これは人間に限らず、全てが完全ですべてがいのちの一部。それを尊重しようという考え方です。

これは子どもに限らず、私は万物全てに徳が備わっていると思っていますから現在の古民家甦生だけではなくすべて取り組んでいるものはこの初心と観点を働かせて実践しています。

足りないから補うのではなく、本当にそのものの役割を発見して活かしていくという発想です。これは日本人の伝統的な価値観、もったいないなどにも通じるものがあります。

子どもは最初からすべてを備わっているからこそ、余計なことをしない。余計なことというのは、備わっていないと、足りないと、これはダメだや間違っているなどをということを無理やりに教え込まないということです。きっと、何か理由があってそうしているのだろうと尊重し尊敬して見守るということです。

これが私たちが社業で取り組む、見守る保育の考え方から学んだことです。

子どもは丸ごと信じてこそ、本当の意味で私たちが子どもから学び直し、子どもように素直で正直なままに自立して自分の天命を全うしていくことができると私は思います。

そもそも自立というのは、自分の自立ですがこれが人類の自立にもつながります。今のように世界を巻き込む戦争が起きそうなときこそ、教育者たちは真実と向き合い、平和ボケするのではなく「真の自立とは何か」ということを正対する必要があります。

真の自立をするのなら、人類はもっと優しくなり思いやりを忘れずに悍ましい戦争もなくなっていきます。人の心が貧しくなり、荒廃するからこそその結果、環境に現れていくのです。だからこそ、人の心に真の豊かさを甦生させていくことが末永く平和を持続するための知恵でもあります。

私が取り組む、場も暮らしフルネスも起点はすべて子どもを見守ることからはじまっています。こんな時だからこそ、希望を忘れずに自分の天命を全うしていきたいと思います。

人の形

先日、大宰府天満宮の宝物館で展示されている友人の中村弘峰さんの作品を見学する機会がありました。常に人形を通して、時代時代に生き方を温故知新し変化を求めて挑戦しているそれぞれの代々の生き方の展示でもありとても刺激を受けました。

時代は常に変化して已みません。私たちはこの今も日々に新たな気持ちで自分の中にある初心に正直に生き続けていくことで本当の自分のままで存在することができるものです。

自分の心に素直であり続けることは、本当は周囲の環境とはあまり実は関係ありません。どんな環境下であっても、自分の初心のままであり続けることができてはじめて人は自分を生き、真に自立することができるからです。

どんなときにも初心を優先できるか、この問いは人類一人ひとりに与えられた使命でもあります。

今回、展示の中で感動したものの一つに中村人形の家訓があります。改めてこれはものづくりに関わる人だけでなく、まさに日本人としての初心を忘れてはいけない素晴らしいものだと思い皆さんに共有したいと思いました。こう記されます。

【人の形を作ることを生業とする我が家は代々一子相伝である。

たとえ粥を食へども只ひたすらに良き物を作るべし。

これは初代筑阿弥が残した家訓である。

生活が貧しくとも信念を持ち人形を作ることを第一とする。

人形は人々に夢や希望を与えうるものである。

特に祭りの御神体の様なものは祈りを受ける存在である為、

それを作る時には殊更自我を捨て、無になることが必要不可欠である。

その為、我が家では幼き頃より常に自分のものを人に差し出す事でその特訓をし、

人の形を作る者は謙虚であるべきと教える。

青年になりし頃、心と体を鍛え学問に邁進し、

我が家の後継は必ず修行に出て人の役に立つ為に苦労を買って出る事。

歳を経ても常に純粋で素直であるように、

仕事に臨む時は作らせて頂いている心を大切にする。

初代より我が家は臨終に於いて、

後継は先代の手を握り目に見えるものを受け取る。】

どの文章の中にも、自戒が籠っていてそれが本物の人形を象ることができると諭しているかのように感じます。私たちの身体も本来、自然の一部であり依り代でもあります。その時代時代に、どうやって無我の境地を会得し、どのように人々の心に残るような自分自身を貫遂していくことができるか。

人生のテーマは、先人たちの生き方や生き様からも学べます。子どもたちに、未来の希望が伝承していけるようにこれからも学びを楽しんでいきたいと思います。

心のふるさとのバトン

これから英彦山の守静坊の屋根を茅葺屋根に葺き替えるための本格的な準備は入ります。現在は、トタン屋根になっていますが本来の宿坊の姿を甦生するために元の屋根にする作業です。

この費用が甦生でもっとも決断が必要なものでしたが、日本人の心のふるさとを甦生するためにもこの茅葺屋根は欠かすことはできません。

私の取り組む甦生は、この茅葺だけではなくありとあらゆる日本の伝統文化につながるものを同時に甦生させていきます。それはただ伝統の物を使うのではなく、その伝統の意味も一緒に甦生させていくのです。

例えば、畳一つにしても畳がなぜ存在したのかの歴史的な背景をひも解き、同時にその畳を本物にこだわる職人さんと一緒にその心や伝承を伝道していきます。そして職人さんたちやその土地の人々を結び、本来の日本の結の関係をつなぎ直していくのです。

そのためには大変な手間暇や配慮なども必要になりますが、もともと日本人なら備わっている真心があると確信していますからそれを丁寧に甦生させていきます。

今回の茅葺屋根の甦生も、葺いてしまえば手入れをしていけば30年以上は家を守ってくれます。そしてまた30年経った頃には、また葺き替えをするのでしょう。そのころはもう私も生きていないかもしれませんし、一緒に取り組んだ職人さんたちもいなくなっているかもしれません。

しかしここで今、つなぐことにこそ意味があり、誰もしないから私もやらないではなく、誰もしないからこそ自分がやる必要があるのです。

子どもたちのことを思うと、先人たちの祈りや志、生き方や知恵をつなぎたいと真摯に思います。人生の中で、何がもっとも役に立つのか、そしてどこに心の居場所があるのか、それはもう明白です。

煌びやかで派手なものばかりについ感情的に魅せられますが、それもすぐに消費され飽きてしまいます。しかしこの私が取り組んでいるものは、一生飽きることもなく、そして永遠に知恵として未来の子どもたちの人生を助けます。

今はわからないかもしれませんが、これは本当に100年後、もしくは数百年後に人々が気づききっと感謝しているのがわかります。

それはなぜか。

私自身が、先人たちや先祖たちからいただいている恩徳に心の底から感謝しているからです。よく私のところまで来てくださった、つないでくださった、集まってきてくださったと感謝しているからです。

私の身の回りには、いつもそういう徳の存在のものや人たちが集まってきてくださいます。何よりもその知恵ややさしさ、思いやりや美しさに日々の暮らしが感動に包まれています。

時代の当事者、時代の責任者として普遍的なものを丁寧に紡ぎ、自分がされたように未来の子どもたち、そして後世へと心のふるさとのバトンを渡していきたいと思います。

時代の責任者

ロシアがウクライナに侵攻をして世界は戦争の意味をもう一度、確認することになりました。誰も望まないはずの戦争はいつから発生するのか。それは歴史を省みると少しずつ明らかになってきます。

私たちは最初に戦争をはじめたのはいつか、それは古代の頃、領土を取り合うことではじまります。地域によって得られる富が変わってきますから、当然人はよりよい領土を広げて富を増やしていこうとします。しかしそこには先住民がいたり、あるいは別の人たちがすでに富を確保していたとします。富は、その領土の経済力を決めますから富を守るために強烈な軍隊を持つこともでき、さらに国力を増大してその富を拡大させてさらに富を守ろうとしていきます。

世界は、ずっとその繰り返しで領土を取られたり奪われたりをしてきました。そして現代もまた、冨の拡大のために新たな領土を探し続けて争いはなくなりません。日本でも最初の大きな政府が誕生してきたら富を集中させてそれぞれの領土の人たちのバランスが崩れて戦争にならないようにコントロールしてきました。戦国時代などは自分たちの富を増やし守るために領土を取り合うために発生した時代でもあります。

江戸時代には江戸幕府ができて、戦争が起きないように見張りました。すると領土が拡大できない分、隠れて貿易をしたり年貢を必要以上に取り立てたりと富を守る工夫は続きました。富は、常に人類の戦争の中心にあったのは間違いないことです。

世界には、その理屈を知り、冨をうまく分配し合って助け合う領土もありました。しかし、冨を拡大する領土から狙われる羽目になり失われていきました。自分たちのものにするには、その領土の人たちも自分たちのものにする必要がありましたからそれぞれに言葉や文化、あらゆる価値観を融合していくために宗教なども入っていきました。

今もその構造はほとんど変わっていません。

その当時の人々も、農民や職人たちもそんなに裕福だったわけではありません。裕福だったのは一部の富裕層であり、その富裕層が富を守るために戦争をはじめていくのです。農民一揆なども同じように、貧富の差が拡大することによって人々の不満が高まりさらに押さえつけるために強権を発動していき抑え込める。それが限界に達すると、政権が変わる。そのうちまた同じことが起きて繰り返す。こういうことばかりをずっと数千年も前から繰り返しているのです。

私たち人類は、情報化社会で色々なことを知ってきました。むかしは諦めていた人々も今では、情報を学ぶことによってこれは諦めることではないことを学んでいきました。

この時代、人類が真の幸福や仕合せになるために何をすべきかということを全人類に問われているのです。

冨=幸福という構造を如何に乗り越えるのか、そのためには富は何のためにあるのかから考える必要があります。日本も戦後に物質的には非常に裕福な国になりました。毎日大量のごみを捨てても、まったく影響がないほどに、食べきれない食料をもち、使い切れないほどのお金を持つことができました。これである一面では幸福になったのでしょうが本当にそれだけでいいのでしょうか。

私は、人類がもっとも望んでいるもの、富を超えて本当に幸福を感じるものがどれだけあるのかがそろそろ人類で議論する時期が来ているのではないかと思います。それで暮らしフルネスを実践することを自らがはじめています。

冨ではない別の物差し、真の豊かさということをみんなで考える時期に来ているということです。戦争はもうここまでくると、人間とは切り離せない全体の一部ではありますが自分たち一人一人のみんなが当事者として自分に打ち克っていくことで戦争を小さく未然に防いでいくことができるように思います。

時代の責任者として、こんな時だからこそ暮らしをととのえていきたいと思います。