憧れというものがあります。これは童心とという言葉が和合したものです。私の意訳では「子ども心」といいます。子どもは、好奇心があり何でにも憧れます。ああなりたい、こうありたいと素直に自分の理想の自分を思い描いていきます。そして自分の子ども心を守り続けることができるのならば最後は理想の自分に出会います。
現代は、子ども心とは関係もなく人間を何かに役に立つものとして教え込み育てます。子どもは何にでもある程度刷り込めばそのようになっていきます。しかしこの世に同じものや同じいのちがないように、子どもも同じものはありません。
それぞれに徳があり、それぞれに生き方があります。その元々具わっている徳に気づき、憧れを生きるのならその子どもは仕合せな生涯を歩んでいきます。
自分の中に理想の生き方を持ち、その道しるべに従って本物の自分を生きて死ぬのです。人生というのは、良いか悪いか、成功か失敗か、正しいか正しくないかなどは本来はあまり意味がありません。どんな時でも、仕合せかどうかを自己と対話をしながら人生を創造していくことに真の喜びがあるものです。
これは人間に限らず、自然界の生き物も同様です。
子ども心というのは自由です。その自由な心をのびのびと発揮し、憧れに近づけるようにするのならその人らしくその人にしかない魅力や個性、そして徳が開花していくものです。
子どもを見守るというのは、子ども心を見守ることです。子ども心を方をちゃんと観ているか、子ども心の方に寄り添っているか、大人の都合や正論を振りかざす前に自分自身の子ども心はどうなっているのかを内省することから改善することが指導者としての最低限の実践だと私は感じます。
そのためには自分がどれくらい子ども心を大切にしてきたかが問われ続けるのです。子ども第一義の理念に支えられ、これからも子ども心を見守る存在として精進していきたいと思います。