智慧の集大成

世の中は「思想」というもので溢れています。インターネットを検索したり、本屋さんに行けばいくらでもその思想を学ぶことができます。また誰かによって整理され体系づけられた思想はお金で売買され評価もされています。こうやって同じ世界を何度も体系づけてはあれでもかこれでもかの議論で経済が動く時代です。そういう意味でも今の時代は、便利な時代ですからどのような思想でも探せばすぐに見つかり加工しやすいものです。

しかし、現実を直視すればその思想だけでは物事は動きません。現実には現場がありそこにはその思想をカタチにできる人と技術が必要です。思想と技術は両輪であって、それがちゃんと整っていなければ物事は真に救われません。つまり現実を変える救うや救われるためには思想だけではなくそこに技術が必要なのです。同時に、思想がなく技術だけだと凶器にもなりかねず結果的に救われません。

つまり救うことや救われるためには、この思想と技術の和合こそが欠かせないのです。学問というものは、この学者と技術者の協働によって大成していきます。

そういう意味で、それができる私の理想の人物とはだれかともしも訪ねられたら二宮尊徳のような人物であると答えます。二宮尊徳は、農民でしたが思想と技術をもった徳と才を持つ現場実践者でした。

この徳と才は、人々を救い導くためには必要不可欠な力です。この力はどうやって磨かれるのか。それは現場での試行錯誤と鍛錬、そして徳の修身といった人格を高める努力しかありません。そしてその中で、磨き上げられたものが智慧になり、その智慧こそが人類を新しいステージへを導く鍵になります。まさにこれは歴史を鑑がみて気づく王道の基本です。つまり、どんなに無限の思想が誕生しても、どんなに便利な技術が溢れてもその根本はすべて基本にこそあるということです。この基本とは、徳才一致の顕現ということでしょう。

私は思想もありますが、それをカタチにしていく技術があります。具体的にカタチするのは救いになるからです。思想だけでは救われないことを若い時に何度も体験し、どうやったら救われるのかの技術を高めていきました。そして技術が高まるとそれ相応の普遍的な思想が求められていきますからさらに思想を磨きます。

これの繰り返しを実践現場で何度も試行錯誤しているうちに本物の智慧に出会ったということです。私の甦生業は、この智慧の集大成でもあります。

今年は色々とまたカタチにしていく年です。私が先陣をきってやっていきますからぜひ皆さんも一緒に手伝ってほしいと願います。子どもたちのために、今年も真摯に挑戦していきたいと思います。

言葉の力

祝詞というものがります。この起源は、神代から存在するともいわれていますが私たちの先祖たちは言霊に対する信仰を持っていました。つまり言葉には霊力が宿り、口に出されて述べることで霊力が発揮されると信じたのです。

むかしから忌み嫌われる言葉を話すと良くないことが起こりその逆を言えば善いことが起きるといわれたりします。婚儀など祝儀の際に忌み言葉を避けるように、言葉を気を付ける民族でした。

この祝詞は、祭壇の横で神主が宣るという漢字です。この祝うという字の右側は、頭が大きな人という意味になり神主を現します。この似た言葉に呪言というものがあります。この呪という字は、私たちが放つ言葉が霊力があるという意味を示しています。

言葉は独り歩きをするともいわれますから、放った言葉が巡り廻って誰かにたどり着きます。場合によっては、自分自身に帰ってくるかもしれません。その時は、人伝えに霊力が増幅して戻ってくるかもしれません。

この言葉の持つ不思議な力を発見したのは、原初の人たちです。

今では、言葉が氾濫していて文字を含めこの技術は霊力を持つというよりは便利な道具のような位置づけになってきています。言葉でありとあらゆるものを私たちは認識し、言葉によって文明を発展させてきました。実は最初の文明で産み出した最初の道具は私はこの言葉であろうとも思っています。それを書き言葉にしてこのブログのように読めるようにしたことで誰でもその言葉の持つ不思議な能力を使うことができるようになったということです。

しかし話を戻せばこの原始の祝詞というものや、呪言というのはその便利なものとは一線を画しているようにも思います。それは便利なものではないからです。どちらかとえば、扱いづらい、とても手入れが必要で慎重にやらないと大変なことになるというものだからです。

例えば、呪言では呪いの言葉を放てば、その効力を発揮します。それは今でいう劇薬のようなものです。劇薬は毒にもなれば治癒にもなります。しかしその使い方を間違えれば、大変なことになってしまうのと同じです。

修験者たちは、それぞれに「真言」というものを伝承され会得します。破邪顕正、もしくは鬼を祓うなどその真言で行います。まるで金縛りのようにそこから動けなくなったり、もしくは強烈な業火によって焼き尽くすかのような力を発揮します。しかし、まともにそれを使えば、使う側にも大変な消耗があり、危険を伴うように思います。

こんなことを書くと、怪しい宗教の話ではないかと思われるかもしれませんがこれは言葉だけではなく音楽にも同様の力があることで想像できると思います。音楽には、心を穏やかに安らかにするものもあれば、情熱的に快楽を与えるものもあります。これは音楽の持つ霊力がそうさせるといえばわかると思います。

言葉も本質的には同じ作用を持っているということです。

普段から気を付けないといけないのは、思ってもないことを口に出したり、感情的に我に呑まれて怒りにまかせて暴言を放ったりしないことです。その言葉が、自分を傷め、他を苦しませることがあるからです。テレビやネット上では、そのような言葉が氾濫しています。その言葉が書き言葉になることでいつまでも遺ってしまうこともあります。

便利で誰にも使えるようになったからこそ、心を澄ませていつも素直に正直に祝言としての言葉を使うように先人たちと同じように気をつけたいと思うものです。改めて、今年は言葉に気を付けて実践を磨いていきたいと思います。

行事の意味

昨日は、おせち料理を用意し親族も集まりみんなで正月のゆったりとした時間を味わいました。毎年、恒例行事があることで子どもたちをはじめ色々と成長しているのを実感できます。老いも若きもみんなそれぞれの時代において仕合せに過ごせることは安心であり幸福です。

今ではおせち料理というと何種類も何十種類もあるもののようになっていますが本来はとてもシンプルなものだったといいます。平安時代には、高盛されたご飯のようなものだったともいわれています。

もともとこのおせちは、中国の歴である季節の変わり目の「節」が取り入れられたころからはじまったともといわれます。中国では、陰陽五行が紀元前1000年前からはじまっており日本には平安時代に宮廷に取り入れられて独自の発展をしていったものといわれます。これを節分とは言わず「追儺(ついな)」という皇室で行われてた鬼払いの儀式とされています。中国では中国では「大儺の礼(たいな)」として行われていたともいいます。

本来これらの宮廷文化だったものが庶民に入ったのは江戸時代です。明治時代には改暦によって、これらの行事も失われていきました。中国でも清の時代に、これらの風習はよくないと一方的に失われていったといいます。現在では、中国よりも日本の方が五節句をはじめ邪気払いとして独自に進化して残っています。

先ほどのおせち料理も、今のようなおせち料理という名前になって重箱にたくさんの種類の料理が入ったのも戦後だといわれます。バブルの時に、さらに発展して今のようなおせち料理になったそうです。

そう考えてみると、伝統と私たちが信じているものは遡れば最近はじまったものであったり、他国のものであったりといい加減なものであることもわかります。しかし、元を辿ればなぜはじまったのか、何をする行事だったのが本質だったのかと深めれば、その伝統行事を再び、この時代に甦生させていくこともできるのです。

はじまりを知ることは、その行事の意味を知ることなのです。

子どもたちのためにもなんとなく続けているものをもう一度すべて洗い直し、新たな伝統文化として温故知新して息を吹き返していきたいと思います。

2022のテーマ

昨年は、今まで知りあうはずではない方々とのご縁が広がった一年になりました。また徳積堂、和楽と古いものを甦生し、新しい場へと生まれ変わらせる機会をいただきました。そして多くの御蔭様を経て、これから英彦山の甦生に取り組むことになります。

一年に一度、振り返る機会があるというのはとても豊かなことです。節目に私たちは、今まで何をしてきたか、そしてこれからどうして生きたいかということに向き合う時間を得られます。

自分の人生をどのように使ってきたか、それが一年の経過で観てとることができます。私は選ばないという生き方を実践していますが、振り返っていると選ばない中で選ばれているという感覚を実感します。私が選んでいなくても、選ばれているという事実。そして私が選んだと思っていたら、選ばれているという事実。つまり自他一体のように、ご縁の中心に事実はあり常に「選択されている」ということがわかるのです。

これは私の生き方ですが、この方法が甦生の極意にもなっています。

別の言い方では、天にお任せして生きていくという生き方です。天が何かをさせようと私を誕生させます。その天の命に従うように自由に生きていきます。その自由に生きる中で私たちは偉大な愛に気づいていきます。他にも、偉大な恩恵、偉大な感謝、ありとあらゆる自然の恩徳に巡り会って人生を深く味わっていくことができるのです。

昨年のテーマは「感謝を磨く」でした。どれだけ感謝が磨けたはわかりませんが、当たり前に気づき足るを知る機会は今までよりも多かったように思います。コロナのこともあり、今までの既存の資本主義や経済発展という物差しと向き合って新しい生き方、「暮らしフルネス」という自著を上梓することもできました。

そしてこれからのコロナ後に入るために私たち人類の意識は一つ変わっていかなければなりません。それは今までの物質的に偏る豊を手放す決断が必要になります。私たちの先祖たちは、子孫のために徳を積みました。これは単なる発展ではなく、地球の生命と共に暮らしを豊かにしていくという道を選んだのです。これは先ほどの選ばれたという言い方にすれば、人類は地球に選ばれているのです。もう少し謙虚になって、バランスを保つ工夫をしなければこの歪は大きな揺れ戻しになって人類に襲い掛かってくるようにも思います。

ここからの一年は、私たちはどのような選択をするかでこの先の1000年が決まります。ここに人間、一人ひとりの試練がはじまっています。私もその一人として天を信じて選ばれた側の心で謙虚に道を切り拓いていきたいと思います。

最後に今年のテーマは、「いのちを磨く」ということにしました。いのちは愛そのものであり、愛はいのちを慈しみ尊重するときに顕現します。愛は人類と地球を救うものであるという事実は普遍的です。それはかつての聖人たちがみんな後ろ姿で示したものです。

時代が変わっても、人は人を愛し、愛は地球そのものを丸ごと包みます。

この美しい時間をいつまでも子どもたちや、新しいいのちにつないでいけるようにこんな時代だからこそ勇猛果敢に徳を積んでいきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。

 

妙見の智慧

私の運営するBAの神社は、秩父神社から勧請した妙見さまをお迎えしています。また郷里の多田の妙見神社からも妙見さまをお迎えし合祀しています。もともとはじまりの地から経由して分かれた神さまをもう一度、この地で結う和して一つにしたのがこのBAの妙見神社ということになります。妙見というのは、妙を見るという字でできています。一体、妙とは何か、そして何を見るのかということです。

これを説明するのに「五眼の徳」という言葉があります。このことは妙見さまの神徳を理解することにおいてとても重要な言葉であることがわかります。

もともと私たちの人間の認識のはたらきを眼になぞらえると五種に整理できるといいます。仏陀はこれを肉眼(にくげん)、天眼(てんげん)、慧眼(えげん)、法眼(ほうげん)、仏眼(ぶつげん)があるといいました。

もともと「智慧」そのものを神格化したものが妙見さまです。その智慧の眼を持つ存在をあらゆる佛の母といわれる佛眼尊として、五眼の徳をもった佛智を象徴としました。

この五眼の徳は「大智度論」というお経の中で紹介されています。

「肉眼は近くを見て遠くを見ず、前を見て後ろを見ず、上を見て下を見ない。天眼は、前後、上下、遠近は見るが物の実相を見ない、慧眼(けいがん)は、真実を見抜き智恵を得ているがその智恵が自分一人の内にとどまっている。法眼は、自分や人々のそれぞれの立場において何をすれば良いかを見ている。佛眼は、万物の普遍性に通じている。」

この5つの眼を一つ一つ解説していますが、その中の一つだけでは真実は見えないということです。本当の真実を見るためには、この五眼のすべての徳、「妙眼」が必要であると説いていると私は思います。

なぜあらゆる佛の母といわれるのか、小さな迷いから覚めて真実を知ることで佛の徳が甦生するからです。人間は、認識と時間というものの中に生きています。そしてどうしても知識が増えてきては智慧を忘れていきます。せっかく得た智慧も、それが経年変化でくすんでいきますから磨き続けていく必要があります。しかし磨いていても、どうしても知識が邪魔をしてきて私たちは智慧の本体が分からなくなっていくものです。

智慧を甦生させるというのは、本来のありのままの姿に原点回帰させる力があるということです。私の甦生業もまた同時にこの智慧に帰着します。この地に妙見神社を建立したのは神縁ではありますが、智慧を砥石にして磨き甦生するための大切な教えがあってのことです。

これから歴史も人間も、未来も甦生させていきます。子どもたちにいつまでも妙見の智慧が伝承されていくように私自身もその五眼の徳を磨いていきたいと思います。

信じる道を貫き通す

昨日は、一年の振り返りを会社の仲間たちと一緒に行いました。こうやって毎年、続けてこられて20年目に入ります。来年度で20周年ですが、思い返せば色々な思い出深いことがあった20年でした。

特にこの一年は、コロナの影響があってそれぞれの場所でそれぞれに自分の役割を全うしていきました。これで本当にいいのだろうかと思うこともありましたが、今できることに専念するということでそれぞれに自分を盡していきました。

世の中の価値観では、こうあるべきというものがたくさんあります。そういう意味では、私を含め私たちの会社はこうあるべきというものと逆のことをやることが多いように思います。

本当は、世間の価値観に迎合し、みんながやっていることに従っている方が楽になります。みんなの思う正解や平均、それまで刷り込まれてきた常識に合わせていく方が無難ですし、余計な不安はなくなるのです。

まるでみんなで渡れば怖くないというように、人が大勢いる方が大丈夫だろうと安心したくなるのも人間の真理です。多い人=安全という意識もまた、私たちが元来持っているものです。

しかし、自分の理想や目的や信念、初心があったり、理想への憧れやこれは譲れないと思えるほどの優先順位がある人はその多い人=安全ということは関係がありません。自分が少ない人=危険であっても関係なく、その人の目指すゴールイメージに近づけるための努力をし続けていくのです。

ある人はその孤独が嫌だと避けようとします、またある人はかえってその孤高の状態をよしとしてさらに前へと足を進めます。人は生き方ですから、その生き方を決めるのはその人自身です。

どのような結果が待っていたにせよ、自分の信じる道を貫き通すことは悔いのない生き方になります。人生の中で大切なものや大事なものは増えていくばかりです。その一つ一つを守りたいと思っても体は一つしかありませんし時間も一日、24時間と制限があります。手放すことはとても辛く苦しいことですが、一つ一つを丁寧に手放し、理解してもらい、時には人に頼り、生きていくのが人生でもあります。

大事なことをやり遂げるのは、全体快適のためでもあり長い目でみた子どもたちの未来のためです。目先の子どものためも大切な仕事ですが、1000年先の子どものためも同時に大切なことです。

誰かがやらないといけないことを自分がやると決めてくれる志のある人は、この先も大切にしていきたい存在です。私も場をととのえ、志士たちと力を合わせて理想を実現させていきたいと思います。

漢方と不老園

昨日、久しぶりに郷里の有名な漢方医のところを尋ねました。一つには、叔父さんの体質改善のアドバイスをいただくことで、もう一つは、古の英彦山の生薬「不老園」を甦生するための相談です。

改めて、色々と発見したこともあり、少し整理してみます。

まず漢方医学というものがあります。これは調べると「狭義では漢方薬を投与する医学体系を指す。また漢方は、漢方薬そのものを意味する場合もある。広義では、中国医学を基に日本で発展した伝統医学を指し、鍼、灸、指圧なども含む。」とあります。しかし、実際に漢方医の診断を拝見していると総合診療をしているのがわかります。つまり全身の症状、体格、骨格、内臓の状態、皮膚の状態、体力の程度、生活環境、生活リズム、精神状態、自律神経、きりがありませんがあらゆるものを総合的に分析して経験や知恵を活かして直観的に何が問題であるのかを判断します。そのうえで、それを治癒する方法をあらゆる手段を用いて実施していきます。

昨日も漢方医のお話をお聴きしていたら、西洋医学で末期がんの医者が治療に来たことがあるとも仰っていました。自分たちは西洋医学で治療しているが、がんが治らないからここに来たという具合です。実際に、その医院ではがんを完治した人の話がたくさんあり、どの話も納得できるようなことばかりでした。

例えば、心の持ち方、生活の気を付け方、回復までのプロセスに寄り添いながら漢方薬を煎じていきます。時間はかかっても、確実に体質改善を行っていくのです。私が、以前、取り組んでいたコンサルティングも対処療法と根源治癒がありました。緊急のものは対処療法しますが、実際に理念や初心を含めて盤石な状態にするにはやはり時間をかけても体質改善をするしかありません。今、会社で取り組んでいる一円対話もまた未病であり、体質改善につながるものです。

ここから話を英彦山の生薬の話に換わりますが、先生と一緒にこれから不老園を復活させてみることにしています。これは山伏たちの暮らしの中心にあったもので、千数百年も前から重宝され、全国各地の病院たちを治癒したものです。

もともと山伏の生薬については、求菩提資料館にこう書かれていました。

近世の山伏は民間祈祷師であるばかりでなく、人々にとっては頼りになる民間療法の専門家でもありました。つまり、病気を治すための加持祈祷を行うかたわら、薬草・薬石をそえることを忘れなかったのです。山伏たちは、本草学に関する知識を持ち、山中で薬草を採取あるいは栽培して、さまざまな薬をつくりました。つくった薬は年に一度の檀家廻の際に配って歩き、翌年檀家を訪ねた折にもしもその薬が呑まれていれば、代金を頂くといった具合でした。「入れ薬」のはじまりです。」

明治のころから、民間医療薬が禁止されまた修験道廃止令も出て、この伝説の生薬である不老園は徐々に世の中から消えていきました。今では古文書の中にいくつか書かれているのが残っているだけで生薬はどこにも販売されておりません。

先生とお話をしていると、この不老園は特に自律神経を整える成分でできていると仰っていました。かつての山伏たちは、心身を治癒する医師たちでもありましたからこの生薬はとても人々の病気を治癒し、未病を維持するのにもとても重宝したはずです。

しかし明治の頃というのは、調べれば調べるほどとんでもないことをしていることを実感します。明治維新のことばかり話しては、やってきたことを肯定していますがよくよく吟味して否定して改善する必要性を私は感じています。歴史を変えたり、消したり壊したら、ちゃんと責任をもって日本人のためにやり直すべきはやり直す必要を感じています。

子どもたちのためにも、先人たちが人生を懸けてつないで結んできた叡智を甦生させて伝承していきたいと思います。

遺徳

昨日から久しぶりに石見銀山の阿部家に来ています。松場ご夫妻と懐かしいお時間を過ごしながら阿部家の余韻に触れています。この阿部家はいつも新しく磨き上げられています。古民家ではなく、新民家です。私もこの場所にきて、その暮らしの美しさに感動して今があります。

人は、どのように日々を暮らしていくかはその人の選択です。

美しく生きようとする人には美しい暮らしがあり、感動して生きようとする人には感動する暮らしがあります。その実態は、その人の心の姿そのものであり、生き方がそのまま暮らしになるということを意味します。

つまり何を暮らしにするかを決めるのはその本人であるということです。人生という言い方でもいいかもしれません。どんな人生を送ってきたかは、その環境や場所に残存します。それを余韻ともいいます。

私自身もいつまでも人々の心に美しい残り香のある暮らしがしたいものだと感じるものです。それを別の言い方では、「遺徳」ともいいます。

徳を積んでいく暮らし、徳を磨いていく暮らしは人類の原点です。

色々な教育がでてきては、あれやこれやと複雑になっていきますが本質や根源は一つです。私たち人類は、何を捨てて何を求めていったのか。そして今、何を本来拾い直すときで何を手放すことが必要なのか。

そのきっかけを与えて気づかせることもまた徳を積むことになるのでしょう。

私が暮らしフルネスに取り組む本質的な理由は、本来のあるべき人間の心を子孫たちに先人が私たちにしてくださったように繋いでいきたいからです。改めて、原点を思い出しました。

一期一会の出会いとご縁に深く感謝しています。

道心の中にこそ真の暮らしはある

最近、別々の人たちから「道心」のことを聞く機会がありました。具体的には、「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」というものです。これは天台宗の開祖、最澄の遺した言葉で一心戒文というものの中に出てきます。

この一心戒文は最澄の弟子、光定(こうじょう)がまとめたものですがこれは同じ道を歩む人たちへの心得と心構えを遺したものです。

この道心とは、以前このブログで書きましたがこれは徳を高めて道を志す道徳心です。最澄が目指した世界はどこにあったのか、これは1200年前からずっと今にいたるまで世界の人類がみんなが最終的に目指すゴールの姿も同じです。

如何に平和を譲り遺せるか、そして人は如何に思いやりに満ちた仏さまのような心を保つことができるか。人間の徳を磨き続けて、いつまでも平和の世の中にしたいと発願した人たちの御蔭で私たちは今でも平和のカタチを心に遺して学び続けていけるように思います。

もしもこのような道徳心というものを知らなければ、私たちは文明や文化そのものを真の意味で発展していくことはできません。どの時代であっても、私たちは目先の利害や損得、欲に呑まれてしまい本当の人間の幸福や豊かさの意味を忘れてしまいます。

そうならないように、お手本になること、そしてそうありたいと願う生き方の中にこそ真の教えはあります。今でこそ、宗教は何か学問とは別の信仰と区別されていますが本来は宗教は学校であり学問のもっとも磨き抜かれた道場でした。

その道場で学んだ教師、むかしは聖人といいましたが彼らが各地を巡り、どう生きることが人々の真の仕合せにつながっているかを初心を忘れないようにと伝法していたのです。そうやって、人が持つ地獄のような苦しみから解き放ち、手放すことを教え、共に実践し心と現世の幸福に導いたのでしょう。

しかし、実際にはどの時代にも人間は目先の欲に呑まれます。自戒として、最澄が「道心があるなかにこそ真の暮らしは存在する」といったのではないかと私は思うのです。

現代の人たちが理解しやすくしようとするとこの「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」の「衣食」を「仕事」という言葉に置き換えればピンと来るのではないかとも思います。

「道心の中に仕事あり、仕事の中に道心なし」

です。

仕事ばかりして生きていますが、その中に真の暮らしはあるのでしょうか。本来、人間は真に暮らしをしている中にこそ、本当の意味の仕事があるのではないでしょうか。志や理念、初心を忘れないで働く人は、暮らしをととのえて働いているでしょう。しかしそういうものを持たずに単にお金のためだけに仕事をしていたらそこに真の暮らしはないということです。

どの時代も、真理や普遍性というものは変わることはありません。しかし時代と共に、欲が形を変えていきますから私たちもまた先人に倣い対応していくしかありません。

最澄は、大乗仏教を唱え、能力のあるないにかかわらずすべての人々を救おうと志しました。そのため、誰にでもできること、特別な能力がなくてもどんな人でも救われる方法をその時代に突き詰めたのでしょう。それがこの一心戒文の中で感じ取ることができます。

私が「暮らしフルネス」を提唱し、実践し、それを弘めようとするのもまたこの道徳心を磨く、そして徳を積むことを誰でもできるようにして道心を甦生させようと発願したからです。

最後に、最澄のこの言葉で締めくくります。

「国宝とは何者ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。故に古人曰く、経寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす。即ち此れ国宝なり」

道心ある人が国宝であると、徳を積み、道を歩む中にこそ平和と天国があります。宝とは、すべてこの真の暮らしの中にこそあるということです。

子どもたちのためにも、自分の志を生き、自分の道に専念していきたいと思います。

天候と感情

日々に天候というものは変化を已みません。時には快晴で穏やかな天候の日もあれば、急に荒らしのような天候の日もあります。私たちは天気のよい日に活動し、天気が悪い時はあまり活動しません。これは動物なども同じです。天候が悪い時は、じっとしてやり過ごして天候が回復するのを待っているものです。

この天候というものは、私たちがもっとも身近な自然に合わせていくものであり私たちが長い年月で身に着けてきた地球で暮らしていくための一つの偉大な智慧でもあります。

私たちの地球はこの天候の変化でバランスを保ち、一つの生命体を維持していきます。そしてその一つの生命体と一緒に暮らす私たちもまたその影響を大きく受けているともいえます。

たとえば、現代のように気温が上昇したり、地殻変動がおき火山の噴火や地震なども地球の生命活動の一つです。北極や南極の氷が融けて、海の水分量があがり海流が変わります。地磁気も変化して太陽からの太陽風なども降り注いできます。宇宙を太陽系と共にらせん状に移動していくなかで他の星々との影響もまた受けていきます。

マクロでの変化と、ミクロでの変化の中で私たちは生きています。そのミクロでの変化の中に日々の天候の変化があるのです。この日々の天候の変化は、私たちの感情と似ています。

感情も穏やかな日もあれば、感情が荒れるときもあります。よく機嫌という言い方もしますが、自分の機嫌をととのえていくことで私たちは感情という天候とうまく付き合っていくのです。

感情が荒れるときは、台風や火山、地震のような激しさもあります。またその逆に、静かに穏やかに和むものもあります。自分の感情がどうなっているのか、これは日々の天候のように確認して過ごしていくことで私たちは自然と共生するのです。

日本語の対話では、おはよう、こんにちは、ごきげんようなどという挨拶があります。このごきげんようは、自分の感情を確認している行為にも私は感じます。如何に、自分の日々の天候を確認して対応していくか。それは日々の天候をみて対応していくことに似ているのです。

感情は時には狂気にもなります、また或いは時には神々しいことにもなります。今の時代、感情と向き合う感情と上手に付き合うことが苦手な人が増えてきています。天候の変化に柔軟に素直に対応していけるように、日々に自然との関係づくりが重要になってくるように感じます。

子どもたちは自然そのものです。子どもたちに倣い、地球規模での天候の変化が激しくなってきていますので、上手に気候変動と共生していきたいと思います。