マナー

先日、社内で「一流のマナーとは」という題目でマナー研修を行った。兼ねてより子ども第一主義の会社で行うマナー研修は単なる世間や学校で教えているものとは異なる観点があり、その本質を誰とともに行うかについてはとても長い期間悩むものがあった。

それぞれの成長を見守る中で、それを感学するタイミングを思うといつもながらこの社内研修という教えないための研修を行うことは本当に難しい。人が育つ環境を用意し見守るとは教え込まないことを言い、それは社員の成長をよく観て感じてじっくりと待つ忍耐が必要になる。

講師に選ぶ人は、いつも人間的魅力のある人を選び、決して偉い人や肩書きがある人、世間から有名かどうかを基準にしてはいない。やはり人を感じて御縁を辿ることはその人柄が香ってくるように一瞬の出逢いの中にあるものを察知し、それをいつまでも覚えておき何かと遠近あり関わっていく中でその人の人間味や生き方の真摯さを感じられる人がいる。

今回、講師にお願いした人は人事という仕事に長けている顧問が紹介してくれた尊敬と尊敬で結んだ御縁であり、改めて研修を受けてみるとそういう真摯に他人を思いやり人間を大切にする人だったのは本当に有難いなと感謝に満ちます。

マナー研修といっても世間では挨拶から身だしなみ、その他、公共の中での振る舞いや作法など切り分けて学ぶものと、相手を慮り気遣うといった、人と人とが心地よく生活し協力していくために信頼や信用、誠意や真心、思いやりという本質とを学ぶものがある。

これをどこから教えるかとなると、マニュアル化されたものを使えばある程度表面的なものは学ぶことはできる。しかし実際のビジネスの応用の場面では、もっと緩急あり重厚ありなど体得していなければいけないものもある。

私は以前、営業という仕事を長いこと行いそのマナーについて徹底して覚えた。最初は、相手がどうやったら自分に出会えてよかったと感じてもらえるか、心地よく感じてもらえるか、それを悩み切った。その際、自分が相手に出会えてよかったと常に相手の新しいことを発見し、相手を尊重し、竟には尊敬するようになることだということに至った。

その後は、自分がその型を崩すことでもっと自然に相手に関われるようになるのではないか、もっと深いかかわりを瞬時に持ちたいと願い、日々の生活や相手を思いやる気持ち、相手のことを自分のように好きになるように努めて、今では自然体でいつも人柄と真心で感化しあい高め合いたいと思うようになった。

苦しんでいる人がいれば、一緒に苦しみ、楽しんでいる人がいれば一緒に楽しむ、子どものようだと言われることが増えたけれど、そういう時間こそが相手を本気で大切にしたいと思っているから不思議なことだと思う。

自分のスタンスを変えないためには、裏表なく、きっと相手にも何か自分にわからない大変なことがあるのだろうと、真摯に傾聴し、共感し、受容していくことで自分自身の生き方を照らし、自分を励ますように相手を励ますことも人とのかかわりでは大切なことだと今では思っている。

そして、今回のマナー研修にて私たち会社が学んでいることは社会の上での信頼と言う言葉になる。

人は一人以上で構成する集団に於いては、社会と言うものが存在する。それは家族でもそうだし、兄弟親戚でもそう、会社は勿論、地域などもすべては社会の中で自分が役割を担うことになる。

その中で、もっとも絆があることはお互いが安心しているということになる。人は安心することで自分の持っている力を存分に発揮することができるようになる。不安だとそれをすることはできない。

しかし、集団では自分と言うものを自分本位でばかり考えていたらそのうち自分が外れていくような感覚にあい独り孤独になってしまうことがある。それはいつも不安を感じているからということになる。

ではなぜ不安を感じるかと言うと、まず自分本位でいつも自分のことばかり考えるからというのが本質なのだけれど、具体的には例えばお互いが決めたルールを自分から自発的に守ろうとはせず、相手にばかり求めたり、いつも相手のせいにばかりして、そのルールをいつも自分都合でばかりでいるから他人との信頼関係を築くことができなくなる。

つまり実践でいえばルールを守ることを積み重ねることが信頼を構築していくこと。例えば、あの挨拶でもそうだし、約束でもそう、そして決めたことを自分本位で左右せず周囲を思いやって自分が最期までやり遂げることもそう、そういう「日々実践の積み重ね」を通してしか人は他人に信頼されるようにならないということ。

今は信頼を踏みにじる人が増えていて、信じてくれている人に対しても自分勝手に相手を推し量ることをし、その決めたルールを守れない理由をいつも外のせいにし、言われたからしぶしぶというのでは、受身になっているのだから仕方なくやらされているとなれば何のためにやっているのかが本人が分かっていないのだから信頼関係など築けるはずもない。

一度、決めたことはどんな理由があっても自分の都合で曲げてはいけない。
それをしたら、今まで積み上げてきたものをどんどん壊していくことになる。

普遍的な一流のマナーとは、相手のことを深く尊重し、周囲に配慮し、日々の約束を守るという実践で信頼を築き上げていくことを言う。

今回は、最初に講師の方から陽明学の知行合一の話を聴かせていただいた。

知っていることは行っていることであり、行うからはじめて知ることができる。つまりは分かれているものではなく、それは日々の営みの中で気付き掴んでいくものだということを示唆していたのだと私は感じている。

日々の営みこそのもの。

如何に日々の行いに礼儀を感じて真摯に生きているか、道で出逢う方々、そして一期一会での御縁に感謝しきっているのか、それを口先で語るのではなく、身近な約束を自分から自発的に徹底して守って、周囲に配慮しているという実践のことを言うのだと思う。

コンサルティング会社にとって、その社業生命に於いて何よりも大切なのは「信頼」という言葉。これに勝るものはなく、これに劣るものもない。

今の社会では、欺瞞と詐欺や不安や不満に充ちている場面によく出くわすことがあるし悲しいニュースを見ては感じるものが在る。だからこそ世直し行とはそういうところが原点であることを私たちは決して忘れてはいけない。

表面上のビジネスのうまくいったやいかないは、近視眼的でありあまり意味をなしはしない。永遠の仕事、持続可能な仕事とは、日々の丹誠を籠めたその生活の姿勢にこそある。

コンサルタントとしてどうあるべきか。

自問する方々がいるので、書いてみましたが私は信頼こそが第一優先だといつも思っています。子どもたちが安心して暮らしていける世の中のためにも自分は一切妥協せずに取り組んでいきたい。

善き御縁に新ためて感謝します。