当然と奇跡

人間は、繰り返される日々のルーティンワークの中で当たり前に毎日同じことを繰り返されているように感じて大事なことを忘れていることがある。

奇跡を欲しがり、願望から当たり前でないことを期待しているけれど本当は当たり前であることはそれこそが何よりも奇跡であるということに気づいていないだけであると私は思う。

毎朝、必ず朝日が昇りそして活動し、日が暮れてまた休む。

その中で自分の周囲に愛する人がいたり、親しい人がいたり、そして出来事が無数にある中でその必然的な意味を感じたりしつつ、それが存在していること自体を深く感じ入っていると非常に深い邂逅の念と有難いことだと何より感謝に包まれていくもの。

滅多にないこと、無事だということ、それは全てに不思議で壮大な恩恵の中に在る自分を其処から感じることができる。包まれている不思議なもののなかで生かされる自分というものに今を思うと心底当たり前などないのだと実感できる。

こうやって今も刻々と時が過ぎ去っていく日々に、自分の存在の奇跡に出会うということや自分が存在しなければ、周囲もなく、周囲があるから自分が存在できるということを当たり前のことだろうけれど、これは決して当たり前ではないと思うことは無二の営みを大切にすることに繋がっていく。

今の自分があるのも、すべてはこの当たり前ではないことの必然的な積み上げで出来上がっているからだ。

だからこそ同じことは二度とないこの今に生きる自分が、自分を存在させてくれている周囲とかけがえのない関係を維持していることこそが何よりも有難く、その普遍的な営みを感じて生きることが奇跡の中にいることを実感する方法でもある。

外界が変化し、世界は大きく激変する中でも変わることがない人と人との深い絆や大切な一瞬一瞬の思い出は全てこの当たり前の中に存在しているもの。

当たり前であることが、もっとも当たり前ではないことを自覚し、不思議な一瞬一瞬をもう二度とないことだとし、今を何より大切に生き切るような人生を歩んでいきたい。

子ども達には、毎日を粗末にしないよう私自身が充実した日々を過ごして当然と奇跡を心底豊かに楽しんでいきたいと思う。

今を感じている豊かで充実した心を夢が実現している最中であると自覚し深く感謝し、もったいないと思う心と御蔭様だと感じるままに色々なことをさせていただける日々に感謝し、全てに対して丁寧に丹誠を込めて自らの命を刻々と使っていこうと思う。