自己肯定感

先日、1/4の奇跡という映画をカグヤクルーと一緒に拝見することができた。この映画は、障害を持った方々に接する山元加津子さんという方にフォーカスして制作したドキュメンタリーであった。

映画の中では、障害を持った人たちから心で生きることを学びその言葉を多くの人たちに伝えようという意志がとても伝わってきたものであった。私の師は、子ども心にとても精通している人であり、この映画では障害者の心にとても精通した方だなと実感した。やはり現場で実践している人たちの言葉はいつも重くそして深い、だからこそ心が揺さぶられシンプルにありのままの真理を伝えられるのだろう。

他人が自分に本当の意味でできることできないことを自覚し、お互いを真剣に尊重しあいながら生きている無二の関係を見ると私は自分自身のことが浮き彫りになり、同時に素晴らしい人たちからもっと学びいつの日か同じように自分らしく使命に準じたいと思えるようになる。有難いことである。

人間の心に深く精通している人は、その心の世界が持つ玄妙微細な叡智を言葉にすることができるし、それを深く理解して正しく世の中へ表現することができる。人間にはそれぞれ役割分担があり、もっとも弱い立場や抑圧されているところにこそ真の優しさと強さが必要であると訴える必要があると私も生きていていつも思う。

いつも思いやりをもって命を尊重し、人々がすべて必要不可欠な強い繋がりに於いて生き生かされているのだとそうではない社会の在り方を義憤を持って貫くのだろう、そこに偉大な人間愛があることを感じると世の中にはまだまだ人物は沢山いると思い嬉しい気持ちになり論語の「徳は孤ならず必ず隣あり」の意味を実感する。

自分の心には色々なものがある、それは自分を守りたいと思ったり、何かを奪いたいと思ったり、厳しくしてしまうことや、自分さえよければなど、心をむき出しに素直になればたくさんの嫌な部分もでてくる。しかし、そのすべてを見ても自分は優しい心があると選択するとき人は偉大なものに動かされていることを感じるのではないか。

それが必要とされていると感じる事であり、それが何か偉大なものによって生かされているものであるし、自分を最終的にはそうさしめている不思議で玄妙な何かの力が働いているからであると感じることもある。

もともと自分の尺度から物事を考えれば、思い込みという価値観の色眼鏡で心を封じ込め世界を自分色に染めてしまうもの。鏡であれば、塵や埃にまみれれば本当のものは心にも映し出さないし、水も汚れて波を打っていたら、その表面は歪んでしまい心には正しいものは何も映らないように、その心がまず清らか澄んで平安でなければ何も本当のことは見えることはない。

素直であるとは、そういうあるがままの心、つまり本当の今の自分を受け容れた後の無理をしない素直な心で善悪好悪すべてをもっている自分の心のあるがままを受け容れることを言うのであろうと私は思う。それを否定したい気持ちに自分が克つことである。

これは師も以前、雑談の中で話してくださった中に「人は完全に善ではない、子どもを見ていたら子どもの中にはその善悪の両方が渾然一体に存在している」と仰っていたことがあった。あの時はよく理解できなかったけれど、これは自分の心と正対し見つめてみれば今ではそれがよく分かる。

人は自分はそんなはずはないと思いたがるものだし、自分はあんなのとは一緒ではないと嫌悪するのだろうけれど、そういう人が真の意味で他人に自分のことのようにと思いやりを持てる人には決してなりはしない。

自分に誠心誠意がない人が、他人に誠心誠意ができないように、自分の心に誠実でなければ、他人に誠実であれるはずがない。弱さも強さもさらけ出すのは、自分の心そのままを他人に見せれるからである。それは別にかっこ悪くてもいい、情けなくてもいい、酷いと醜いと思われてもいい、自分はこんな自分なんですと言える正直さという勇気であると思う。

むき出しの心を見つめたとき、人は本当の意味で優しい心を持つのであろうと思うし、人がはじめて人を本気で信頼することができるのであろうと思う。完全なる善人もいなければ完全なる悪人もいない、ただ人がいるだけなのである。

私自身、課題が多く、まだまだそれができず相性などもあり大変な思いをすることがある。しかし、大切なことはそういうことも気づかせていただけるすべてに深く感謝し、あるがままであることの真の価値を見出すことが差別のない尊重し合う平和な世の中を創るのであろうと思う。

いつまでも自己否定せず、自己肯定するということの本当の意味を子どもたちに還元していきたい。自己否定とは、自分はそんなはずではないと無理に抑え込もうとせず、自己肯定とは、そんな自分もあるのだなあと素直に受け容れること。

自己肯定感が低いと言われ、自分を受け容れることをなかなかしない今の社会で、自己肯定感を高め心を気軽に気楽に生きていけるような自信を子ども達へその輪を広げていきたい。

一円対話を用い、さらに自己肯定感を真意を愉しめるような子ども第一主義の社業を実践していきたい。まずは自分から、真実の自分自身をいつも受け容れていきたい。