心地好さ

人は心の余裕とゆとりがなくなってくると、次第に自分以外の存在に矢印を向けようとする。心の余裕やゆとりとは、相手のことを思いやっていることでいつも広く持ち続けることができる。

その心よりも、頭で考えていることで一杯になりまず心から取り組むという順番を間違えれば次第に忙しくなってきて周囲に迷惑をかけてしまうことがある。

勘違いされることはあるけれど、心の余裕やゆとりは何もかも時間をゆっくりすればいいということではない。それにそう見せればいいというわけではなく、まず心から思いやりを持って過ごしているかということになる。

例えば、お客様が来社されるときに相手のことを思いやれば色々と共感するものがある。遠方からであればご足労していただいたや、外気が蒸し暑ければ冷たいものをお出ししたいや、商談の中身が難しいことであればできる限り準備しておこうなど、相手のことをまず思いやることで仕事はとても心地好いものになっていく。

そうしていると次第に自ら感謝の念が湧きだし溢れ、心の余裕とゆとりをより大きく広くしていくことになる。

もしこの逆になれば、例えば仲間との仕事でも思いやるよりも先に自分が頭でっかちに作業進行上、もっとうまくやればや自分のやり方に固執する方などで相手への心の思いやりよりも自らの頭の理屈や理論上であっているからとやれば保身が生まれ感謝を忘れるから相手はその人へ無神経で冷たく空気の読めない人だなと思い仕事自体もすべて心地悪いものになってしまう。

そうしていることで非協力的な思いやらない関係にしより忙しくなってしまい周囲も嫌気がさしてくるものだ。

長く続けられる仕事や、ずっと楽しい仕事は生産性も高く質も善い、それに建設的に積み上がっていくのでより良い関係が構築されより貢献に繋がっている。

そうしていくのは「心地よさ」というものがとても重要になる。

忙しさのあまりか、自分の心の不安定さあまりか、感謝を忘れれば次第に仕事が作業的になり他人を傷つける凶器や犯罪のような行為に及んでいるのではないかとその人の周囲への矢印を見ていてよく思う。

周囲にも思いやりがない環境を与えてみんなが余裕がなくなれば、その凶器によってたくさんの人を傷つけてしまい最後には自分が深く傷ついてしまうもの。

そうならないように、自分から思いやる環境を築くことを心がけいつも自分へ矢印を向けていれば助け合い認め合い協力し合うことで周囲を癒すことができるもの。

つまり心地よさとは、心がちゃんと地に着いている、つまり地に足が着いているようにまず心がどっしりと地面に根ざしているかということを言う。心の安定や安心とは地についていることからである。

そしてこれを理念ある経営と結ぶことが地道に仕事で貢献することでもある。

理念なき行動は凶器以外の何物でもない、まずはどんな理念でやっているのかを常に心に抱き、自らの行動のすべてを見直していくことからやっていくことであると私は思う。

カグヤでは、何よりも優先されるのは理念であるのだから心地よさと理念とは常にイコールであることを忘れてはいけない。思いやる心や感謝の心は、自分が地から湧きだし溢れだしていくことを忘れてはいけない。

大地のあらゆる生命と同じく、地から湧き上がってくるものを大切にしていくことが本当のチカラであるのだから。