夢を語るは大目標

何かをしようと順序を決める際、質と量というものがある。

どれくらい多少の業務量があるのか、どれくらい大小の目標があるのか、それを混濁してしまうとおかしな話になってしまう。

目の前にはやることは山積みであり、それはひとつひとつ真剣に丁寧にすべて取り組んで結果にしていかなければならない。それはただ単に、一生懸命に取り組めばいいだけである。そのうちに、コツを掴み、効果的な方法や順序を覚えていき実力は次第に備わってくる。

しかし、遠くの目標や大きなテーマに対してはその目先の業務とは一緒ではない。それはそれで別の問題であり、毎日その大目標へと向かうために実践を積んでいくことで最終的にはその大目標に近づいていくのであろうとも思う。

よく聴いていると、大目標を観ないまま目先の業務に飛びつくと日々が繰り返されているだけでいつまでも近づいている実感がないという人もいる。

これは、ドラッガー氏が三人の石切職人の話で例えられるので有名である。

三人の石切り工は、ある旅人に、「何をしているのか?」と聞かれたとき、 第一の男は、「これで暮らしを立てているのさ」と答えた。 第二の男は、手を休めず、「国中でいちばん上手な石切りの仕事をしているのさ」と答えた。 第三の男は、その目を輝かせ夢見心地で空を見あげながら「大寺院をつくっているのさ」と答えた。

この一人目の男は、ただ単に日々に受け身に流される人、二人目は、この業務は最高の仕事だと勘違いし思い込んでこれも日々にただ流されている職人気質。三人目は、ビジョンや目標に向かって直向に日々を積み上げている社会的貢献ができる人と私は定義している。

つまりは、一人目も二人目も目標が明確ではなく目先の業務やただ単に仕事ばかりを観て本質を見ない人たちである。こういう人たちは組織にはとても多く、優先順位のことがわからない。

まずよく自分で考えてみると分かるけれど、人生の目標や目的とは目先のことを遣っていればきっと善いではない、どう生きるのか、どうありたいのかというのは人生の大目標であり、それを実現するために夢があり、それに向かって日々を積極的に生きることで叶えていくのであろう。

それを何もせず、日々に流されているだけでは決して社会の中で組織化したチームで目標を達成するということできない、リーダーとは、そういう大きな目標やビジョンを常に大前提で絶対的な場所に置いている価値観があり、そこに対して本質かどうかで日々を積んでいるのである。

三人目とは、夢やビジョン、その偉大な目標に対して本気で取り組んでいるから日々の業務もその仕事も、何かが違うのである。つまりは、そこに命や魂が宿っているかのように生き生きと神々しい何かを発揮するのである。

与えられた仕事ではそういうものはない、自分からその大目標をやるのだと真に決意したものだけが夢を持つことを許され、語ることで実現に向かうのである。いくら表面上をなぞって似たようにあわせたとしても、それは本気でないのだから同じことにはなりはしないのである。

まずは、私の言葉では何よりも優先順位は「夢を持つ」ことなのである。そしてチームでは、夢を語り合い、夢を共有すること、一つの偉大な理念のもとに命を懸けて協力していくことであるのだ。

それを実践しているかどうかで、自分が上記の三人の誰かが分かるし、または自分が何を優先しているのかが明確になるのではないか。

最後に、日々に流されない生き方として千代の富士の名言がある。

「いま強くなる稽古と、3年先に強くなるための稽古と、両方をしなく ちゃならない。」

実力を兼ね備えた夢を語れる人物になることこそ、子どもの模範でもある。

真摯に、一生懸命になる自分を恵まれた環境と恵またご縁、その組織やチームがあるからこそ、今は夢を観ることを楽しんでほしいと思います。

応援しています、ガンバレ。