主体的であるということとは

受け身と主体の違いに、まず何のためにやるのかという本質から考えているかどうかというものがある。

人は、すぐに何のためかということを最初に考える前に与えられた環境の中で与えられたことをすぐにどうしようかということにばかりを先に考えるものである。

しかしその時点で受け身であるということに気づいていない人はとても多い。

まず何かをする前に、その最初に何のためにやるのかということを考え抜くのが自分本来の力を使ってやろうとしているということになるのである。

例えば、会社であれば何のために会社があるのか、仕事であれば何のために仕事があるのか、それをちゃんとどこまで本質的に理解して仕事に取り組んでいるかというのは何よりも正しい成果を出すためには必要になる。

当然、その前に就職する前に何のために生きるのかということを考えていなければそれですでに受け身であるということになる。

よくある矛盾で、如何にどんなに主体的にやっていると自分が思っていてもそれは勘違いでどうしようかということに一生懸命であるのと、何のためにやるのかということに一生懸命というのは天と地ほどの差があるものである。

それに気づかず、最初の根本から考えようとしない人があまりにも多いのはいくつかの理由がある。

それは薄々感じてはいたものの今さら何のためにかというのを考えるのが大変だからそのまま流されて生きてきた人、もう一つに、本当にそういうことを知らなくて気づくこともなく正直に生きてきた人がある。

前者は、気づいてきたけれど今さらそれを知ったら今までのことが無駄になってしまうと恐れてあえて流されておこうと選択したものでありそのまま改めずに最後までいたいと思う心境があるのであろうと思う。

世間を見渡すと、どうやったって変えた方がいいと思うようなことを目の当たりにしても今さらそれをすることは今までを否定してしまうことではないかと仕方がないと諦めている人たちである。

しかし後者の正直に知らなかった人たちは、気づいた瞬間に何のためにやっているのかを学ぼうとし今までの人生を刷新しようとして根本的なところから見つめ直して変わっていこうとするもの。

人生とは、何のためにが何よりも先なのでありそれを考えるのは誰からか言われるからではなく自分の命や魂のところから自分から考えて遣り抜こうと決めることが大前提なのである。

根本からブレナイようにいつも本質から考えるのは、常にどの「今、此処」についても何のためにかということを心が定まっているからできるのである。

会社でも変革期や、個人でも革新期は常にブラッシュアップするために少しずつ刷り込まれズレてしまっている物の見方を換えてしまうような理念の学び直しや見直しというものが必要になる。

今までの自分の勘違いや間違いに気づき、最初から何のためにということを考えることでこそ学び直しということ、その都度、途中までやっていることや今やっていることなどからどうしようかではなく、一度立ち止まって原点回帰し理念を確認していくことが主体的であるということを忘れてはいけない。

主体的に生きていくことが、周囲への真の貢献と自己実現になっていくもの。

一番最初が間違っていないかを見つめて見直すことは温故知新にも繋がっている、常に時代に対して主体的でいるように社業を実践していこうと思う。