先手着実

先手はポジティブ、後手はネガティブというようになるのはなぜかと深めてみます。

先手になるのは心を使って全体を観ようとするから、次第にそれが思いやりから周囲のために自分を活かすことになり後は時間が経てば訪れた機会に対して日々に心を籠めて着実に取り組めば常にポジティブとへ転換しているのです。

しかしもう一つの後手になるにはそれにも理由がはっきりしています。

後手になるのは、目先ばかりを追い、その時、その瞬間にやるべきことを先延ばしすることを言うのです。随分早くから気づいていることでも、まったく自分一人の狭い料簡のみで取り組み気づかなくても、どちらにしたって何でも先延ばしすれば後に一気に挽回しないといけません。

この一気に挽回というのが着実ではないということでネガティブに転換していることなのです。

何かの理由でやりたくないからや、今はいいやと、やるべき時にやるべきことをしなければそれは全部後手になっているとも言います。

自分が何よりも実践することも、今は実践したくないと思ったとしても今やらないから後で一気にやろうとする発想が生まれてしまうのです。そのあとで一気に挽回するという言葉、これがもっとも着実ではないということなのです。そしてそれは怠ったからこそ出てくる発想で、日頃から着実に決めたことを淡々と遣り抜いていたら大事の時にも心が動じず揺らがないで丁寧に慎重に無事に乗り越えていくことができるのです。

この着実とは何かといえば、先延ばしをせずに準備をすること、つまりは何をもって着実かと定義すれば、日々、怠らずに丁寧に来たものをその時にやり遂げること、遣り切ることをいうのです。

着実にできない理由は、心の余裕のなさや忙しさからの不安、迷い、自我欲などもあるのでしょうが、そういうものは生きていれば日常茶飯事です。だからこそ、ちゃんと今やらなければならないことは何か、全体のために自分をどう活かしていけばいいか、何を行うことが世界や未来のためになるのかと日々省みることが大切だと私は思うのです。

目先を追っているばかりで、感じて省みず、いつも大切なことに気づかずに時間を先延ばしにしていたらそれこそが後手になり人生があっという間に味わう前に終わってしまいます。人生は一度きりなのだから、後手はありません。常に先手でいなければ実際の人生よりも実感する時間が遅れをとってしまいます。

だからこそ今しかやれないことは今やろうとして次回を期待したり一気に挽回しないでいいように、日々の精進、これ至誠と取り組んでいきたいと思います。

着実にしていくこと、着々と地味にやっていくことこそ積小為大の法則、つまりは智慧なのですから。