アウトプットの定理

アウトプットの定理というものがある。

カタチになるものを出していくこともその一つですが、その他には人間関係でもちゃんとアウトプットしていかなければ繫がりの中で循環していくことはありません。

このアウトプットというものは、自分から排出していくことで如何に自分自身が澱まないでいるかということを意識するところからはじまります。組織も同じく、澱む組織というのはきまって乾いておらずジメジメとしていて陰気が漂っているからです。

お部屋などもそうですが風通しが悪いところは澱みます、他にも光が入らないところ、水気が溜まるところ、つまりは乾かないところはカビなどきまって陰気のものが増えていきます。これと同じく何でも澱むというのは、乾いていないということを言うのです。

例えば、誰かが無理をしているとか、誰かが我慢をする、御互いに遠慮しているなどとがある組織は決まってアウトプットができておらず人間関係がうまくいっていません。逆に、オープンでさらけ出してフラット、いつもアウトプットをそれぞれが意識している組織はあのサッカーのなでしこジャパンのようにチームワークも円滑でお互いが信頼し合い安心した明るい人間関係を構築しているのです。

これは個人のタイプにもよるのですが、もともと内向的であれば無理をし我慢し遠慮するというもっとも人間関係が築かないまずいやり方を選択してしまいます。そうすると以上のように澱む状況に陥るため次第に病気が蔓延しやすい状態になり周囲に迷惑をかけてしまうものです。

自分がそのようにならないように、いつも周囲に心を開いてオープンでいることを心がければいいのですがなかなかそれを自分でできるかといえば難しいのです。だからこそ、部屋の中の明るく乾いた環境を用意していくことでそういうことが起きにくくしていくこともできるのです。

自分からアウトプットしていくというのは、信頼できる人に話をするということです。特に経験のある人や解決方法を気づかせてくれる人、自分のすべてで阿ねても助けてくれる人などに心を開くことでそこから自らの力を正しく流していくことができるようにもなるのです。

経営者などは自分で考え過ぎて思い込みすぎて、うまくアウトプットができずに悩むことが多いのです。だからこそ、何でも話ができる相手がいることや相談できる人、そういう距離感の人がいるだけで安心して事に挑むことができるのだろうと思います。

そう考えてみると、如何に自分が澱まないか、そのために排出するか、そして排出できるような環境にするかで循環するとしてこのアウトプットするという意識は何よりも大切な実践であろうとも思うのです。アウトプットさせてあげるだけでも、人は澱まないことを意識するようになります。そしてそれが私のよく言うファシリテーションの重要性の第一義であるのです。

困ったら一緒に悩む、辛かったら一緒に慰め合う、悲しい時は励まし合い、嬉しい時も歓びあい、孤独のときは分かち合う、そういう仲間がいるというだけで人はいくらでもまた澱まずに歩んでいくことができるのではないかと思うのです。

祈りの実践はまさにこのアウトプットであろうとも思います。明るく乾いた関係が持てる社会を増やしていけるように、まずはこちらからアウトプットしていこうと思います。