めぐりの一生

生きものを観るときにめぐりを観るというものがある。

その生き物がどのような一生を送ろうとするのか、どのように送りたいのかを観るとその生き物のことが理解できるように思います。

つい何かを見るとき、その時々の一瞬を切り取って見てしまいがちですがそれまでの過程やこれからの過程を想像すると、本当はどうしたいのかということが理解できるように思うのです。

ベランダでビオトープをしていて、気づき善かったことはいのちのめぐりを日々に共に確認することができるからです。水草やメダカに至るまで、何をしたいのかというのははっきりしています。

そこには、生長したい、子孫を遺したい、協奏したいと素直にそのものの心が現れています。

めぐりの中にあって、いのちというものを活かし、自分のお役目というものを全うする。

ただこれだけのことかもしれませんが、すべてのいのちは全身全霊でそれを遣り遂げます。その中に自分もいると思えるだけで元気になるのかもしれません。そもそもこの元気というものは、めぐりの中の気脈であろうとも私は思うのです。

この気脈は、私たち人間で言えば血液であり同じようにいきもの中に流れる液体が躍動するのではないかとも感じるのです。流れの中に身を置くということは、澱まないで生きていくということであろうとも思います。

何をもって澱むのか、それは流れないめぐらないということではないかと思うのです。

めぐりの中に身を置いていくというのは、生きるというそのものではないかと思うのです。
子どもたちがめぐりの中に生きられるよう、見守りを深め実践を広げていこうと思います。