教育保育の本質

昨日はGTサミットが、東京で開催された。

全国各地から保育理念を同じくする仲間たちが集まり、それぞれの実践の取り組みを拝聴するのは刺激をたくさんいただけます。

それぞれの園が試行錯誤しながらも、何をすることが子どものためかということを本質から省みて、最終的には見守っているかどうかと自分に矢印を向ける。私には、保育を志す真心に感じて子どものために実践を真摯に取り組むそのものの姿勢が何よりも尊いと感じるのです。

見守ったか見守らなかったか、信じたか信じなかった、できたかできなかったというのはあまりここでは問題ではありません。自分が決めた道、自分が信じた子どもを信じる道を歩もうと決心し、そこに直向に精進していくことこそが尊いことでそれが教育保育の本質だと私は思います。

人はつい頭で自分の都合よく物事を解釈し、自分の思った通りにいかせようと考えます。

しかし頭で考えたことは浅はかであり、本当に自分がやりたいかと自問すればそうではないことがほとんどなのです。自問は心が澄んでいるとき、もしくは魂がうずくとき、自分自身が自分で納得して実践する決めたまさにこの世の中の信した念のビジョンの世界です。

一度それをやろうと決めたなら信念を磨き、試練を糧にし歩んでいくしかないように思います。

共生の中にある親や子どもを思う心というのは、親子の道、天地の道、かんながらの道です。

そこに、確かな天の真心、人の愛が満ちていてそれを自ら糸を紡ぎ伝道したいからこそ魂は歩みを止めないのだろうとも私は思います。人は、本気で生きていれば必ず人と人との間にある確かな真実を確かめたくなるものです。

幾多の困難もあるかもしれませんが、天の試練は確実に自らの使命に気づくチャンスです。
数は急には増えませんが、着実に保育が広がっていることに歓びを感じ遣り甲斐を感じます。

何が本当に子どものためなのか、子どものためとは何をすることか、分別智を超えたところで真摯に学問をしていきたいと思います。自らが丸ごと信じる生き方そのものを、教育保育で彷徨うことがないように子どもの周りに自然を顕現させ、これからも広げていきたいと思います。

素敵な一日を有難うございました。