発酵~活循環の法理~

先日、クルーの一人が実家の新潟の上越市に帰郷した時の御土産に隣の石川県の特産の「ふぐの卵巣の糠漬け」を買ってきてくれました。

今年は発酵がテーマにしているので色々な発酵食品も食べていますがこの奇跡の食品と呼ばれるものを体験してなるほど深い味わいがあると実感し大変驚きました。

もともとふぐの毒性というものは大変な猛毒で、この卵巣一つの中のテトロドトキシンで大人15人が死んでしまうほどの強いもののようです。これを独自の製法を使い無毒化していくという過程に発酵が入っています。

つまり発酵が毒をも消し去るということです。

ここでは糠漬けの製法を使うのですが、いまだにその無毒化の謎は科学で解明されておらず世界でも類をみないほどの発酵の奇跡の力を証明しています。

そもそもこの発酵とは、微生物が協力し合って活動した代謝物であると私は定義しています。簡単にいえば私たちのいのちの営みで積み重ねた活きたエネルギーの跡です。

しかしこのミクロの世界にある営みそのものの役割分担が大変見事だからこそ、そのいのちのめぐりを通して私たちは大変な恩恵を受けているとも言えるのです。そこには分解しよう、もっと変換しよう、つまりは万物をさらに活かそう、もう一度、活かしあおうという力が働いているように私には感じるのです。

以前、発酵の学びの中でキノコをやりましたがこのキノコも菌の集合体です。生き延び菌糸を伸ばし飛散していくためにも形成し子々孫々へと繋がるために森を移動していきます。土の中には、様々な微生物が生活をしていてその代謝したものが肥沃な土となっていきます。

腐葉土というものも、枯葉が発酵することで大変な栄養分となり虫を活かし、植物を活かし、そして私たちの生活そのものを活かします。本来は活動を終えたはずのものが、地に落ちてそこからさらなる新たな活動がはじまり終わりなく循環される元になっているのです。

このいらないものがないということ、捨てるものがない、つまりゴミなどは存在しないと証明するものもまたこの「発酵」というものであるように思うのです。このふぐの卵巣の糠漬けに観えるように、本来ならば毒であるものが美味しい食品に様変わりするのです。

こんな料理の方法があるということ自体が、自然の叡智そのものではないかと私には思えるのです。要らないものなどはない、その活かし方によるものだという考え方は私たちがここまで生き延びてきた智慧なのかもしれません。

今の時代は、不足が不足していると言われる時代で何かあればすぐに買い替えるや捨てればいいと安易に身のまわりのものを粗末にしていきます。しかし、昔はどんなものにもいのちがある、どんなものにもお役目があると何でも大事に扱ってきたのです。

八百万の神々がいらっしゃるのですからと大切に大事に接してきたのであろうと思います。そこに日本の心、かんながらの道も覚えるのです。発酵というものは、万物を活かそうとする私たちのいのちの道であろうと思います。

発酵とは活かし続ける力、循環する源、私たちが自然の一部である在り方そのものなのです。

まだ古き善き心が残っているものをもっと掘り起こし見つけ出し、この思想や生き方を伝承していきたいと思います。素晴らしいキッカケがあったことに心から感謝しています。