天真爛漫な子ども心

昨日は洗練されることを書きましたが、これとは逆に擦れるというものがあります。

よくあの人は擦れているという印象を持つことがあります。この擦れているという意味を調べると、世間ずれする ・ 世慣れる ・ 世故に長(た)ける ・ 悪ずれする ・ すれっからしになる ・ 純粋でなくなる ・ (人間が)堕落する ・ 悪くなる ・ 汚れるなども書かれていますが、簡単に言うと世間慣れして刷り込まれているということになると思います。

この擦れるというのは、擦れる方ではなく私には刷り込まれるということだと思うのです。

なぜ人が純心でいられなくなるのか、素直になれずに穿ったものの観方や歪んだものにするのかは世間はそういうものだと安易に考えてそれに合わせて自分らしくいることを放棄していくからのようにも思うのです。

いつまでも刷り込まれないで生きている人に出逢うととても素直であると感じます。
そこには心を常に高くしていこうとする姿勢、自分の素直さを大切にする生き方があります。

そもそも刷り込みというのは、本来はそうではないものを世間や一般の価値観の方が正しいと勘違いして間違ったものを信じていることです。人間の都合や誰かの都合、自分の都合のいい方へと解釈してそれを正しいと信じ込まされることのようです。

世間のマスコミなどもそうですが、そういうものを見て安易に信じこむのもゴシップ記事や週刊誌に意識が囚われてしまうのもそういう刷り込みを持つことになります。純粋な人は世間に疎いと思われがちですが、ただ知っていることと知らないことの差ではなくその一つ一つに感動し感激するということができるということなのです。

いつまでの擦れない、刷り込まれないで生きるには日々の出来事に感動する感性を磨いていく必要があります。それは素直で在り続ける自分を維持することであると私は思います。

例えどんなに世間がそうだからと理不尽なことをされても言われても、いつも自分が素直に物事を受け取り、学ばせてもらっているから有難いと感じ、尊い体験をさせてもらっていると味わっていくとその純粋純心さはどんどん磨かれていくように思います。

同じ「すれる」でも刷れると磨れるでは意味が異なります。

正しくいたいと思うことで、いつも自分を素直にしていこうと精進していくことが本来の純粋な生き方、玉を磨いて美しくしていくように透明な心のままに生きていくことだと思います。

私が大好きな子どもが子どものままにいるためにも、周囲の大人はいつも素直である生き方を示していきたいと思うのです。素直な大人に見守られた子どもたちは天真のままの心を維持する強さを信じる事を学びそれをずっと大切に大人になっても持つことができるのです。

どんな出来事があってもそれでも擦れないというのは、心の強さ信の厚さのように思います。

いつまでも自分のままでいるように美しく健やかに天真爛漫な子ども心を見守っていこうと思います。