洗練

世の中には洗練されたものというのがある。

これは、ものを洗いよく錬られているからという意味で辞書には書かれているけれど簡単に意訳すれば最も本質的なカタチに近づいているからということです。

物事も人もモノも全部そうですが、長い経験の中で最もどの形になることがそのお役目や役割を果たせるのかを考え切れば次第に洗練されて竟には本質そのものになるものです。

つまり洗練されていないものというのは、上辺だけの見せかけのものということになります。

これは商品においてもいえると思います。

例えば、ホームページなどはその最たるものですがもともと相手のニーズだからといいつつ飾ったり変な機能をつけたり、付加価値を補てんしたりと、トレンドにあわせてデザインを作り替えるビジネスのようになっています。

しかし本来は、何のためにやっているのかを考え切れば同じことをやったとしても意味はまったく異なりその全てのデザインは本質を捉えたものになっているのです。

本来は何のためにそれをやるのか、商品とはそれを創った人の本質が顕われるものです。売り物のように勘違いしますが、そうではなくその創始の思いが入ったものが洗練されて今のカタチになっているとも言えるのです。

ブランドというものは、その価値がそのまま洗練されて本質により一層近づくことをいい、それにトレンド取りいれ本来のカタチは失わないままに新しい時代にあったものにしていくということを伝統と革新、温故知新とも言っていいと思いますが、これを私は洗練というのです。

どれだけ本質的であるかを究め続ける事は、創始の心から今まで失ってはいけません。何世代も何千年も何億年もかけても、常に私たちは本質を究めることができてはじめてその心を受け継ぎそれを生きたものにして守ることになるのだと私は思います。

子ども達のためにと思えば思うほどに、「本物」を遺していきたいと思うのです。
常に自らの姿勢で究め尽くして本質のカタチをいつまでも追い求めていきたいと思います。

これから世に出す新たな商品は、さらに本質を深めた洗練されたものになると信じています。心の迷いを洗い、頭の惑いを洗い、全てを綺麗に洗濯して新しく練りなおしていこうと思います。