主体性~活かされている実感~

自然界の生き物たちは主体性があります。それは私たち人間も含めて主体性を発揮している存在です。道が已まないのも、私たちは生き活かされる存在そのものだからです。

これを深めてみます。

そもそも私たちは地球の一部としての自分です。オゾン層の膜の中で空気に守られ、水の循環に守られ、太陽の光を受けて私たちは暮らしています。これは地球そのものが主体として生きているからです。その中で私たちも一緒に生きています。

もしもこの地球の活動がなくなったなら必然的に私たちもいなくなります。地球の歩みと一緒になり私たちも歩んでいるのです。地球が冷えれば氷河期になり、地球が温められれば灼熱期もあるのです。

どうしたって私たちは地球の影響を受けるのは、地球の主体とともに主体であるからです。老子に「道は常に無為にして、而も為さざる無し」がありますが地球に生きている以上、活かされている存在として自分も活動の中に一体となっているからまた道も自然に行われているのでしょう。

そう考えてみると、活かされている実感こそが主体性であるのです。活かされている自分に気づくことが自分が生きているという実感にもなります。人間はどう死んでいこうかと思いを定めるとき、どう生きていくかに出会うものです。自己中心になると観えなくなるのが「すでに活かされている存在」ということですが、敢えて生死に正対するとき、生死を超えたところに活かされている自分に気づくのです。

自然界の生き物たちが美しく感じるのは、自分たちが活かされているからです。生きるとか死ぬとかを超えたところで地球に活かされているから美しいと感じるのです。いのちというのは、活かされていると実感するときはじめて直感するものかもしれません。

人間は自分たちが生きているとか死んでいるとか、主体だとか受け身だとかいいますが本来、大前提として活かされているということにそろそろ気づき覚醒する必要があるように思います。

だからこそ一緒に活かされていることに仕合せを感じて地球に感謝できるような暮らしを考え直せばいいのです。つまり諦観としてどうせ活かされるのだからこそ御蔭様に生きようという意味です。

当たり前の中にある感謝に気づくことこそが感謝の本質だからこそ、自我私欲の傲慢に気付き、地球に活かされている今を大切に活かしていきたいと思います。