研鑽の芯

先日、鹿児島で西郷隆盛の遺訓の本をある方にいただきました。そこには様々な詩文から、様々な記録が書かれており、西郷隆盛が何に気を付けて何を大切に自らを研鑽してきたかが書かれています。

歴史上の人物というものを深めていけばその栄枯盛衰から如何に己に克つか、如何に己を慎むかということの大切さが感じられます。

孔子が論語で言うのも、ほとんどが己に克つことの大切さを説いています。如何に我をなくし、如何に思いやりに生きるかを示し続けるのです。

西郷隆盛も、勝海舟からあんな善い人間は見たことがないと評されていました。江戸の無血開城の際も「西郷さんは始終手をひざの上に置いて正座を崩そうとはせず、敗軍の将である私をあなどるような様子は少しも見せなった。」 と西郷さんの様子を後世で語っています。

その西郷隆盛も昔は、気性が激しく正義感が強すぎて数々の問題を起こしてきました。そして二度の島流しで自らを鍛え磨き、己に克つことを得たように思います。

人間はそういう意味では、真の敵は己にこそあり本来の修業とは「君子慎独」にこそあるように思いました。

最後に西郷隆盛の遺訓から一つ紹介します。

「道というのはこの天地のおのずからなる道理であるから、学問を究めるには敬天愛人を目的とし、自分の修養には己に克つということをいつも心がけなければならない。己に克つということの真の目標は論語にある「固なく、必なく、意なく、我なし」による。すべての人間は己に克つことによって成功し、己を愛することによって失敗するのだ。」

孔子は、固執せず、あて推量をせず、無理強いをせず、我を通さない、この四を断つことこそが己に克つことであると言いました。孔子誕生から2500年経っても、これは人類の修業であるのは自明の理です。

他人のことを言う前に自分はどうなのか、自分自身を慎み反省していきたいと思います。