樹木咸能言語~進化の理~

樹木研修をしていく中で進化について考え直しています。

樹木には、寒い時期に備えて葉を落として休眠する落葉樹や一年中葉をつけて光合成を続ける常緑樹があります。その他にも2億年そのままの姿を維持している銀杏や竹のように草とも樹ともいえないような存在もいます。

どれも変化に順応し耐えてきたからこそ今、その姿を見ることができています。本来、進化というものを観るのにどの生き方がもっとも変化に柔軟であろうかと思えば多様化していくことです。あらゆる環境の中で如何に多様化するかで、あらゆる環境の中でその気候などに適応できる種を残す可能性が増えるからです。

しかしその多様性の中には、2億年生き残るものもあれば数百年で滅んでしまうものもあります。どの姿がもっともいいのかは、簡単にこれといったものがあるわけではないのはすぐにわかります。

そもそも地球上に生きている生き物は、とても長い時間をかけて篩にかけられていきます。かつては恐竜が生きていた時代があったり、その前にはきっと他にも私たちの想像を超えるような生き物たちが存在していたはずです。

それがあらゆる気候変動や災害により絶滅の危機を何度も迎えて今に至っています。そこには菌類をはじめ、植物たちや動物、魚類や昆虫にいたるまで何度も何度も自然の篩にかけられてきました。

今私たちが生き残っているのは、先祖がその困難を乗り越えてきた証です。そしてどのように乗り越えてきたのかがその生き方にいつまでも遺っているように思うのです。

そう考えてみれば進化の定義とはそれぞれが宇宙や地球の自然の篩にかけられた中でどのような生き方で生き残ったのかということになります。どこまでも耐えてどこまでも順応していくことができてはじめて今も生きているのです。

生き残った仲間たちが暮らすこの世界は、一緒に進化成長を已まない世界です。今の時代は温暖な気候であまり大きな天変地異も起きてはいません。かつての絶滅時代とはあまりにもかけ離れた平和な時代です。しかしその平和な時代を見透かすように自然界の生き物たちは強くあろう、厳しくいようと自らに打ち克って厳しい自然の中で活き抜いています。

それはまるでまた篩にかけられることを知っているかのようです。平和な時代に進化とかいって人間は認識しますが、本来の進化成長は必要不可欠なものだったのです。生き残るということがどれだけ大切なことか、もっとも気づかなければならないのは自然からかけ離れてしまっている生きる本能のことかもしれません。

あの物静かで語らない樹木が、とても沢山のことを語り掛けてきます。静かに観察し、心を見つめ直していきたいと思います。