変化の源

何かの仕事をしていく中で商品を開発していると、最初思っても見なかったことに出会います。それはその商品とは何かということを定義している感覚が、進捗からの気づきにおいて新たな発見を市場や世間様が教えてくださっていると実感するからです。

何かを行い始めるということは、やっていく中でやって初めて今という未来の存在に近づけたということです。つまりはいつまでも未完成、いつまでも途上という概念のままでいるということです。道に終わりがないように、プロセスこそが価値だという感覚のことで変化中という意味です。

そして変革する人はこの今をどのように直視するか、それは単に仕事だけではなく自分自身の今も然り、会社の今も然り、現状把握についてどれだけ透徹した意識を持つかということによるように思うのです。

そもそも変化しないのは自分の我が入るからです。自分を頑固に持ち出したなら本当に世の中が求めているものが分からなくなります。何をするにも自己中心的では自分の我が入り、世の中からの視点ではなく自分からの視点によってメガネが曇ってしまえば一体何のためにやっているのか、なぜ今それをやるのかすら視野が狭まり何も実感できなくなるものです。

人間は考えている世界だけがすべてではなく、ちっぽけな自分の考えの及ばない世界があるのです。それは自然を直感することに似ていてまるで社會そのものが一つの生態系のような未知で調和した世界が広がっているかのような感覚です。

もしも観察する対象が無機質のものであればまだしも、実際の市場や世の中はまるで大きな生き物のように変化を已まず調和を続けているのだから変化抜きには理解することはありません。止まっている世界などないのですから常に生き物のように成長し続ける世界に於いて、自分自身を成長させないで物事を動かそうなど土台無理なのです。

常に変革者は自分のいるところだけの小さな視野で物事を計るのではなく、本質は何かを観抜き自らを其処に自らを近づけていくような大きな視野で物事を量る必要があるように思います。

畢竟、変革を起こす者というのは、本来の変革が観える者ということです。

変化に気づく感性というものは、内観により自分と正対し直視する感性に似ています。一体自分とは何か、自分のことをどれほど深く澄んだ心で見つめることができるのかに由るように思います。そしてそれは日々に内省を繰り返し、本質を探究する求道精神が徹底する小さな実践の積み重ねによって得られるのでしょう。

変化に気づくには変化になろうとしないといけません。自分自身が変化の源になる意識があってこそ、はじめて変化に気づき変化を創れるのかもしれません。それは成長意欲です、已むに已まれぬ向上心、古語でいう志魂です。自分を一向に変えようとはしないのは、過去の自分の基準をいつまでも捨てることができないからです。変化を自分が恐れているから変化が遠ざかるのです。

新しいことに挑戦するというのは、「自分を捨てて」というのが大前提なのでしょう。我執や固執に捉われないように自分自身を己自身がマネージメントしていくことが温故知新、変化への柔軟性なのかもしれません。思いやりと真心が勇気になり、そして活かされている実感に感謝する変化を願う好奇心は常に楽しい方、仕合せな方を選択していきます、その豊かさと愉しさこそが変化の中にいる実感となるのでしょう。

真面目になる過ぎたり、怠りすぎたりは変化の邪魔になります。如何に楽しむか、それは変化の中で絶えず挑戦者のままであり続ける姿勢と態度、素直で謙虚な生き方です。変に頑なな自分を持ちだし自我プライドを離さないことで周りに迷惑をかけないように自戒していきたいと思います。