伸びる感性を持ち続ける

物事にはすべてに調和、バランスがあります。対立したものが調和して物事は一体になっていきます。それは光と闇、火と水のように相反する性質のものがちょうど中間で折り合いをつけてバランスを取りちょうどいい具合に変化していくのに似ています。

この相反する性質のものを活かすには、どちらにも固執しないようなしなやかでやわらかな感性が必要になるように思います。古語にはそのバランスがあるものを中庸ともいいますが、この中庸は頭で理解できるものではなく心魂を磨き徳を備え、万物の調和の感覚を得ている自然と同様な生き方をできる柔軟性を持つ人たちが得ているように思います。

それはなんでも好いことに転じて活かす感性です。物事や事物を消極的に捉えるのではなく、それを楽観的に前向きに明るく捉えて味わい挑戦していく能力とも言えます。

自分のやりたいようにもっていこうとしたり、自分の思っている方へと向けようとしたり、自分を手放さなかったり、自分のできないことを避けようとしたり、自分に固執すればするほどにその柔軟性は失われて頑固になっていきます。

この時の頑固さとは周りが変化しているのに自分だけが変化しないでいようとすること、そして自分が変化しなければならないのにいつまでも周りにばかり求めようとすることです。

この頑固さを手放し、周りの変化に合わせて自分の方をさらりと変えていくのが自然の姿であり柔軟性を持ったということです。そのためには変わることを悪いこととは思わず、新しくはじまることを好いことだと信じ、常に挑戦していくのを楽しもう、どんな未来になっていくのかをワクワクしてやってみようと好奇心を発動させていくことで柔軟性はさらに磨かれていくものです。

この柔軟性がなくなってきて固くなれば死に近づいていきます。あの新芽の若い新緑の木々たちのような柔らかな姿、新しい環境に自らが喜んで周りと一緒に成長していこうとする豊かな姿。成功や結果よりも、「成長する喜び」に生きようとするものはすべてにおいて柔軟性を発揮していくように私は思います。

マジメニチャントヤロウとするよりは、成長していこうと機会をチャンスととらえてその機会を活かすような生き方をすることでいつまでも若い瑞々しい柔軟性を磨いていくことが変化そのものになっていくことのように思います。

あの三つ子の魂たちのように、イキイキワクワクと成長していく仕合せと伸びる歓びのままに純粋に生きている子どもたちのような姿こそ柔軟性でその子どもたちのあこがれるような生き方を志すのなら決して忘れてはならないものがこの伸びる感性を持ち続けることなのです。

常に成長を信じてやっているか、常に変化を味わって好奇心で取り組んでいるか、自分の好奇心が枯れて干からびていかないように常に変化の水分を吸収して明るい光をもって伸びていきたいと思います。