稽古の意味~初心伝承~

人は初心を磨くことで初心に近づいていくものです。その初心とは、目的そのものであり本質のことです。それをどう磨くかといえば、それを何度も思い出してはその初心のままかどうかを確認して実践し学び続けることです。

そしてこれを稽古というように私は思います。

師が弟子に稽古をつけるというのは、単なる技術だけを指導するのではなく生き方を指導してくれます。その人の生き方に触れることで自分が初心を思い出すことができるからです。

そもそも人は日々の些細な出来事の中で、何のためにやるのかということをいちいち考えずに日々は流されるままに動いてしまいます。特に環境の影響を受け、環境の中で最善を考えているうちに本筋からずれてしまうことあるのです。

その時、自分自身を振り返り、自分が本来の目的に向かっているか、初心に対して誠実であるかと内省を繰り返すことで本道からそれなくなっていくように思います。

それを稽古していくともいい、ここでの古(いにしえ)とは初めての心のことであり、産まれたときの心境に回帰しそれを稽(かんがえる)ということです。この稽の字は、もともと留まる、引き留める、頭を地につけるという意味があります。

そうやって繰り返し稽古することで人は上達していきます。

理念を浸透するというのは、自分はもちろんのこと一緒に目的に向かって取り組む仲間も同時にこの稽古を積みかさねていくということです。理念は創造して初心を発信することで物事の半分が終え、残りの半分はそれを稽古を継続することで半分を終えます。

結果にとらわれて初心を忘れるようなことでは、周囲も方向を見失います。大事なことを忘れないようにするのは、自分の生き方の稽古の研鑽を積むことです。

引き続き、理念が仕事ですから自分自身が稽古を積み精進していきたいと思います。