好奇心の醍醐味

「好きこそものの上手なれ」という諺があります。広辞苑には「好きなればこそ、飽きずに努力するから、遂にその道の上手となる」と書かれています。この好きは、好き嫌いの「好き」という意味もありますが私の人生体験では他にも「好奇心」の時の「好き」があるように思うのです。

この好奇心の時の「好き」には、ポジティブで楽観的、その道を深く味わうような意味もあるように思います。物事を好転させるという時の「好」もまた、同じく面白そうや楽しそうといった遊び心が働き楽しい方を優先していくのです。

なんでも「好き」が一番である理由は、それだけ好きという意味には深い意味があり、好きであり続けるためにその道を楽しんでいるのです。同じ人生であるのならば、人生を如何に面白く楽しくするかは自分自身の生き方次第です。

高杉晋作の辞世に「おもしきことのないこの世をおもしろく」と詠みましたが、どんなときにも最期まで持ち前の好奇心、好手を発揮して生きるというのは人生の醍醐味を感じつつ、いのちを慶ばせそのものの寿命を全うすることに似ています。これもまた自然の生き方です。私も自然のままにいのちそのものを燃え盡す生き方に憧れを感じます。この憧れもまた好奇心です。

好奇心というのは、いわば子どもの心です。

子ども心は、無邪気に純粋に物事をみつめます。なんでも不思議に観えるその世界は面白さに溢れており、あるがままの存在が好きでたまりません。子どもはその好きな気持ちに素直で正直ですから、時には周りが観えなくなることもあります。しかしそんな時、周囲の大人が見守ってくれていればより安心してその子どもはそのことに夢中になっていくものです。夢中になれるものがあり、それが世の中に活かせるようにしていく周囲の見守りがある。

つまり大事なことは子どもか大人かではなく、その好きで夢中なっている子どもをどう見守り、それを如何に世の中のお役に立てるかを助けてあげることが今を少し先に歩むものたちの使命ではないかとも思うのです。

ある歳を越え、保育の面白さ、好奇心の大切さがいよいよ味わい深く感じられてきました。これもまた師や友、メンターの御蔭様なのでしょう。

子どもたちのお手本になるような生き方ができるように、引き続き子どもの心を見守りながら子どもが安心して暮らしていける社會を創造していきたいと思います。