徳積の本命

歴史というものは知恵そのものです。一般的にいう教科書の歴史は知識としては持てますが実際の歴史は知識ではありません。まさに先ほど書いた知恵です。知恵というものは、伝承されることで維持することができます。いくら知識で記録してもそこには知識しかありませんから活用することができません。

歴史の遺産や遺物が活用されずに朽ちていくのも、町の負担や負債のようになるのも知恵の歴史ではなく知識の歴史が使われるからです。私のところにも文化財の活用のことで相談を受けることがありますが、本当の知恵をつないでいない現代において知識をいくら活用しようとしてもそれでは活用になることはないのです。

私が取り組んでいる徳の甦生は、知恵の甦生でもあります。私にとっての徳=知恵であり、徳積みというのは知恵を磨くという言葉と同義です。なので徳積財団は何の財団だと聞かれたらそれは知恵の財団であると私はいいます。

知恵こそ本来の財であり、それを守ることこそが真の経済を豊かにすると考えているからです。

人はむかしから今に至るまで、たくさんの道を歩んできました。その道は古代から今でもつながっていてこれから先の子孫にまでずっと続いていきます。

その道を守るというのは、まさに徳を積むことと同じなのです。

私たちは先人の偉大な徳をいただき今があります。今の私たちは先人たちが歩んできた歴史のなかで活かされているのです。その活かされているという事実と真摯に向き合い、それを用いるというのが活用するということです。そのためにはまず知識になってしまっている歴史を知恵に甦生する必要があります。私はこの甦生することに使命を感じて取り組んでいます。

私たちの郷土、筑豊という地域は古代には「やまと」があった場所です。というより日本にはやまとがあるのです。私は英彦山の宿坊の甦生においてそのやまとの存在を実感しました。この日の本は、日の子の山のあるところにあったと知恵を感じるのです。霊山というのは、神仙ともいわれ人はいのちを育む偉大な水が産まれる場所を母としました。天地をつなぐところ、それが山なのです。

そして山からどのように歩み、いのちは育ち、道ができて今に至ったか。これは神話として知識にするものではなく、今も神道、かんながらを共に歩み知恵にしていかなければ天命を生きられないのです。

今でも私たちがそれを辿ることは道を甦生することでもあります。徳積財団の本命として、歴史の甦生は徳の甦生でもあります。これからじっくりと時間をかけて子孫へ徳を伝承し知恵を伝道させ、未来にも豊かな宝が活用できるように取り組んでいきたいと思います。