言葉と時間

言葉というものはとても便利な道具です。言葉の御蔭で私たちは様々なものを分化して認識しそれを他人に説明することができます。説明したものは頭で理解し、なんとなく自分の経験の中で転化してイメージするものです。

しかしあくまでイメージしたものは同体験ではありませんから、それを脳が補正していきます。わかったように見えてはわかっておらず、知っただけであることがほとんどです。自分で体験して知恵を掴むには、むかしから師弟関係にあるように見て盗めとかいう具合になっています。

ほとんどの人は今の情報量のなかでその時間が取れず、全部を体験することはできません。だからこそ、知識で補おうとしていくともいえます。情報というものは時間を短縮できるものです。言い換えるのなら、時間そのものを便利に得ているともいえます。

時間はそれぞれに平等にありますが、その時間は人生のことです。この一生を何に使うのか、この人生をどう体験するのかはその人その人で異なります。

その人生の時間というものを認識するのに言葉を使いますが、実際には言葉にならないことの方がほとんどです。それは感じるというか、実体験により気づくということです。

人生の中で自分は何に気づいたか。そしてその気づいたことでどう生きようとするのか。これが大切なことであるのは言うまでもありません。

人は人と出会い、言葉を交わしますが実際には時間を交わしているともいえます。

一度きりの人生の中で、誰に出会い、何を一緒にするのか。

子どもたちの未来のために今、やるべきことを楽しんでいきたいと思います。