言霊といのち

天香久山というものがあります。万葉集で有名なものに持統天皇の「春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香来山」があります。これは意訳では、真っ白な天の香久山のように、干されている衣がひるがえっている、いよいよ夏がやってきましたねというものです。

天の香久山というのは、万葉歌にもさまざまな山が詠まれているなかでも唯一、 「天の」と表現される山です。これは歴代天皇が山に登って「国を見る」ことで国土を治める儀式をしたという場所であり、天から降ってきたという伝説もある山だといわれます。ここから大和の国が見渡せる大切な場所であったことがわかります。

先ほどの持統天皇の言葉にあった「白妙の」は、楮といって木の皮の繊維で織った真っ白な布です、今では和紙をつくるのに使われます。それを干しているのは、田植えが行われるのに白い衣で行っていたからだといわれます。早乙女たちが御田植祭で稲を大切に植えていく儀式のことです。その当時のことに思いを馳せると、いよいよこれから田植えの季節ということへの篤い想いと、和紙のような衣が風でたなびいていて天の香久山の白い岩肌に太陽の光が反射して輝いているという風景でしょうか。光を反射して映すというのは、鏡と同じです。鏡の山こそ、天の香久山だったのではないかとも直観します。きっと、この天の香久山は本来は石灰岩の真っな岩肌であったのではないかとも推察できます。その当時の天の香久山は木も生えていない、真っ白な岩がむき出したような山だったのかもしれません。そしてカグという字は、古語では光が輝くという意味でもあったようです。

遠目にみても、真っ白な光を放ち岩が降ってきたような山だったからこそ天の香久山と名付けたのかもしれません。もう一つ、天の香久山を詠んだものがあります。

「大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原(くにはら)は煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は かまめ立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は」

これは意訳ですが大和の国にはたくさんの山がありますが、特に素晴らしい天の香具山で大和全体の国を見渡せば、国の原には煙があちこちで立ち上っているし、海には、鴎が飛び交っている。このような幸福な国はありません、蜻蛉島の大和の国はと。

気になるのは、山々に囲まれた場所であり見下ろす先に海がありカモメが飛び交うというところ。そこには海があったということ、そしてトンボのような形をしている国であったこと。持統天皇が観ていた景色を直観します。トンボといえば、十字の姿あるいは、交尾をして丸くなった姿です。繁栄を顕すこととトンボは秋の季語ですから、稲が実る豊かな雰囲気も想像できます。

むかしこの土地に、何があったのか。誰かが教科書に書いた歴史ではなく、実際に自らで触り触れ、足で歩き、その場所で味わい噛みしめるなかで心は導通します。本来の万葉集は、その場所との地縁であり、その土地との邂逅であり今を生きる私たちの生の歴史だと私は感じます。

大切なのは、本当のことを知りたいという探求心と青春をし続けるような潤いのある好奇心です。歌枕の甦生は、日本人の真心を元氣にしていくように思います。色々とさらに言霊といのちを深めていきたいと思います。