野性と呼吸

先日、呼吸法を体験する機会がありました。私たちは酸素を取り込んで呼吸していますが、取り込んでいるものは酸素だけではないことが体験するとわかります。身体の隅々まで、呼吸を行き渡させると全身の感覚が研ぎ澄まされていきます。

日頃は使うところを中心に呼吸は使われますが、改めてじっくりと意識して呼吸をするとそれがありとあらゆる感覚に用いられていることがわかります。特に毛細血管をはじめ全神経を活性化させていきます。

もともと私たちの人間は野生の知性を持っていました。今のように暖房設備や洋服がなくてもほとんど裸に近い状態で山野を駆け巡っていました。今の野生動物たちのように、自然に適応していく強靭な身体と精神力があったともいえます。

それが長い時間をかけて減退し、気が付くと心身をはじめ精神も軟弱になってきました。そのストレスから、様々なことを怖がり傷みに対する考え方も過敏になってきたようにも思います。

私達の祖父母、その先の明治のころの人たちの生き様や生き方、心身の強さをみたら驚くことがあります。すべてに対して今の平均的な元氣さよりも数段元気さを感じるからです。

産まれ育った環境が厳しいと、その分、生きる力や免疫力は研ぎ澄まされています。コンピューターや科学が発展していくなかで、突然大きな災害が発生してもしも電気が止まるのをはじめ水道やガソリン、ガスなど生命のパイプラインが使えないとなったらどうするのか。その時はあるもので生き延びていくしかありません。その時のあるものというのは、自分の肉体であることは大前提です。

自分の身体が強く、心も精神も鍛えているのなら多少の災害でも乗り越えていけます。それだけの日々の鍛錬をしていくことは今の時代は、なかなか現実的ではありません。しかし歴史を省みると、如何に平常時にもリスクに備えるか、それが先人の語る生きる知恵そのものでした。

自分の感覚が野生から離れないよう、私も色々と暮らしを試みていますがこの呼吸法もその一つにしていきたいと思います。子どもたちに安心して生き延びていける世の中にするためにも、リスクに備えていきたいと思います。