未知なるもの

それぞれの人生にはそれぞれの道があります。その道はその人の道ですから、どうなるのかわかりません。しかも誰も歩いたことのない道ならそのすべての先は未知なるものです。

この未知なるものというのは、頭で考えてもわからないということです。経験したこともなく、どうなるのかもわからない。普通に考えたら、知らないことをやるのは不安や恐怖もあるものです。特に、過去の体験からマイナスなことを思えばそれが壁になり一歩踏み出せなくなることもあります。だからこそ未知なるものに対する心構えというものがあるように思います。

西郷隆盛がこういう言葉を遺しています。

「道は天地自然の未知なる故、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修する克己をもって終始せよ。己に勝つ極功は「意なし、必なし、固なし、我なし」と云えり」

意訳ですが、人の志す生き方の道は、宇宙や自然のように未知なものであるから学問を深め歩む人は天を相手にして人を思いやることを目的にして、自らを律し自らを養い自らを修め、己に克つことを第一義に保つべきである。そして己に克つために何よりも究極な境地は、根拠のない自分勝手な思い込みもせず、無理を押し通さず、そして頑固に意地をはらず、自分本位の意見や主観をもたないことを言う。と。

つまり日々、この今、この瞬間、どのような時でも天道に適っているかと確認し真心を盡していくために我を優先せずに無私であれということでしょう。無私の人であればあるほど天理に近く自然体であるということです。

この無私とは相対的な我と無我ではありません。道そのものになること、天と一体になっていること、つまり丸ごとそのものになることを無私の人というように私は思います。

運命に逆らわず、来たものを選ばず、ご縁あるすべてに真心をもって接していくこと。一期一会の生き方とも似ていて、同時にご縁すべてに意味を見出しそこにいのちを活かしきる生き方でもあります。

未知なるものに触れることの醍醐味は、新しい自分との出会いでもあります。

子どもたちに憧れるような生き方が示せるように挑戦していきたいと思います。