人類を見つめる

いよいよコロナのことが本格的に開け、終了したことになり世界では経済戦争に本格化してきました。国家という存在同士が、お互いの覇権をかけてそれぞれに同盟を組み、市場を争います。日本のかつての戦国時代のようです。今は、武器が発展しはるか遠くまでミサイルは届きます。飛行機も船も高速化され、武器の量や質、そしてテクノロジー、資源の有無が大きな影響を与えます。

経済は戦争に利用され、奪い合いがはじまります。持っている方、持たない方で激しい戦闘が行われまるで兵糧攻めのようにお金を使って行われます。限りある資源の奪い合うになるというのは予想していましたが、節約や倹約で世界でみんなで乗り越えようではなく誰が残りを独占できるかという風潮です。

ああ、これが戦争なのかと今の時代も変わっていない人間の業を感じます。そのためにいのちが理不尽に奪われ、人として悲しい出来事をたくさん見つめることになります。

戦国時代もこんな時代を終わらせるといい、それぞれの戦国武将たちが覇権を争い多くの血が流れました。農民たちは生活がよくなるというよりは、搾取される側としての大義名分に領地を安堵するというものがありました。あまり構造は今と変わっておらず、年貢を納めるから守られるのであって年貢が増えないと困るから領地を拡大していく。それの繰り返しです。

江戸時代になってそれぞれの統治がはじまりますが、貧しい藩と豊かな藩がでてきます。江戸幕府はいわば税金が入ってきますから、それで潤います。しかし資源が少ない日本では、みんなが倹約をして節約をしていかないとあっという間に国が貧しくなり飢饉や飢餓、疫病などになりますからその時代も統治は大変だったはずです。策国をしたり、殖産をはじめたり工夫をしていました。

何が言いたいかというと、結局どの時代を振り返り観察しても今も人類は自分というものを、それぞれが自己を修め、修養をし己に克つことによってしか平和を維持するしか方法はないということです。

一部の既得権益やエリートが引き起こすいざこざは国家という組織を守ることで保たれます。人類はどのように家族を守ってきたか、それは歴史に学べます。世界がつながり、色々な仕組みや智慧がそれぞれの地域や民族に遺っているかもしれません。そういうものを参考にして今一度、人類はどのようにすることが子孫のためになるか、そして末永く人類が生き残っていけるかをその時代の選手たちが真摯に語り合い実践し合うしかないと私は思います。

悠久の地球で、人類の争いはとても小さくみじめなものです。知識が増えてAIも誕生してきたからこそ、原点回帰を同時に考えていく時代だと思います。子どもたちのことを第一に考えて、みんなで最善を盡していけたらと思います。