道をたずねる

日本のルーツを深めていると、縄文時代にたどり着きます。私たちはこの日本で先祖がどれくらい長く住んでいるのか、そしてどのような暮らしをしていたのか、それがどのように現代に結ばれているのかを知ることでルーツが辿れます。

信仰もいのりも、最初はどうだったのか。長い年月で、異国の宗教や信仰形態も混淆していきますが本来はどうやっていたのか。その原点や道のりを辿れば自分というものを形成しているものも感じ取ることができるように思います。

縄文時代はどのような時代だったのか、遺跡からわかっていることが増えてきています。土器なども深めていると、どのような食事をしたのか、また形からもその調理法や活用法なども見えてきます。遺跡からはどんぐりなどの木の実、貝類、あとは動物の骨が出てきています。

現代でも、一部の地域にはむかしから部族が文明にはかかわらずに暮らしているところがあります。そこでは、当然ながら電気や水道、車、便利な家電製品などもありません。今でも狩猟をしたり、木の実などを採取して独特な祭祀を行い暮らしています。

以前、ブログでピタハン族のことを書きましたが抽象概念がない意識で暮らしていたり、あるいは幸福という言葉を知らない、いつも幸福なので意識的にそういうものがない部族があったり、また戦争という言葉もない部族もあります。

彼らの意識は、私たちのような文明での常識が通じず、ごく自然に余計なものがそぎ落とされて存在しています。地球環境も守り、仕合せに助け合い喜びに生きるという単純なものですがそれが何千年も続いているのです。

現代の文明人類側の様相は、核戦争がはじまりそうな終末期で地球環境は公害によって悪化し、個人の争いや不信、またコンピューターによる新たな支配がはじまります。一体、何処に向かっているのか。意識はどのように変化しているのか、もはや彼らの部族たちのような意識を持つことすら難しくなっています。

しかしやはりこういう時こそ原点回帰して、自分たちの先祖やルーツはどのようにしていたのかと学び直すことが大切だと考えます。それは原始人になれという意味ではなく、今にも私たちが憧れた未来、理想の今が先人たちが築いてきたことの延長にあるはずなのでもう一度、見直して改善することはできるのです。

人は迷う生き物ですが、迷えばまた道をたずねて修正すればいいのです。どのようなところを修正するか、それは生き方を見つめて改善できるはずです。最先端のテクノロジーを使いこなすのもまた、それを活用できる徳や意識があってこそです。

子どもたちの未来に、よりよいものを伝承していきたいと思います。