自己を調える

世界情勢が刻々と変化するなかで、グローバル化の影響は世界の隅々まで発生してきます。対岸の火事のようにはならないのが現代であり、世界の遠方にある小国の紛争が自分たちの生活にも多大な影響を与えるようになりました。こうなってくると、他所の問題ではなく自分たちの問題として紛争は解決していく必要がありますがそれぞれが自国を優先すれば紛争はさらに泥沼化していきます。

なんでも同じですが、競争して奪い合えば奪われまいと抵抗する人たちが増えていきます。譲り合って助け合えばその逆が発生します。余裕がなくなったり、誰かが乱暴に奪おうとすればそこから守ろうとして抵抗していくのが人間です。

人間社会をどのように調えていくかは、むかしから人類に与えられた大きな課題です。その問題に向き合ったであろう仏陀はこのような言葉を遺しています。

「自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。」とも。そして「自ら悪をなすならば、自らが汚れ、自ら悪をなさないならば、自ら浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のこと。人は他人を浄めることができない。他人にとって如何に大事であっても他人の目的のために自分の精進をしないということはない。まず自分の初心や目的を熟知して、自己の精進に専念せよ。」と。

これは真理ですが、実際に周囲に影響をされるなかでも自分自身は自分の初心を忘れずに精進するというのはなかなか難しいものです。そしてそれをみんなで実践していくことを仏陀は述べています。

確かに、どのような変化があっても自分の初心に真摯に取り組む人たちがたくさん発生していけば人間社会は自然にととのいはじめていきます。人間がととのうには、まずそれぞれが己に打ち克ち、己を磨き続け己を保ち続けるということが第一です。それは自分でできることですし、周囲のせいや誰かのせいでもありません。

己を奪われないようにしていくなかで、己はどうあるべきかということをみんなで取り組もうという本来は尊敬すべき国家のモデルや人間社会の模範、人類のお手本のようなものが必要になります。これを何度も何度も繰り返していますが、殺戮兵器や武器が強大になっていくなかで世界規模での戦争にも発展するようになりました。

しかし解決方法はいつの時代も一つです。

子どもたちのためにも、今、まさに自分でできることを真摯に取り組み自分の主を丁寧に磨いていきたいと思います。