伝統の革新

昨日は、無事に守静坊にて夏至の行事を行うことができました。改めて先人たちはどのような思いと願いで行事を続けていたのか。なぜ長い間、行事を実施してこれたのか。それを感じ直すことができました。

伝統というものは、長い時間をかけて繰り返し行われてきたものです。時代の変化や、その実施する人も異なりますから形は多少なりとも変わっていったはずです。その時代に合わせて、時代に合ったものに変化してきました。その時代に合ったものになる過程でその伝統の本質は何かとその時代の人が磨き上げてきたのが本来の伝統のように思います。

その伝統は、変化の集積と今の自分を含めた生きた歴史であることがわかります。つまり物語が続いていくように、繰り返していくなかでこうやって変化してきたということを語り継がれていく今こその中に本質があるということです。

世間では、変わっていないことを伝統と呼んだりします。そして文化財なども保護するという名目で変化を止めてしまってあとはショーケースでご覧くださいと見せたりします。それは終わった歴史、止まった歴史、変化させなくなった物語ということでしょう。

本来、神話なども同じようでその時代の価値観が異なるのだから受けてに委ねられてりいるのだから受け取り方は無限にあります。その中から、みんなが普遍的に共有するものを見出し共感するからその物語をそれぞれで受け取ることができるのです。

万物は変化を已まず、そして自分自身もまた変化の真っただ中です。だからこそ、勝手に止まったことにしたり、変化することが間違っているかのようにするのは不自然であろうと私は思います。

変化を味わい、変化を楽しむ、そしてその変化の中にある今をどう生きるのかをその時々の人たちと対話をしながら創造していく。それが本来の伝統の伝承者のお役目のように私は感じます。

私も英彦山という素晴らしいお山に出会い、学び、尊敬し、暮らしています。その中で、どのような伝統と伝承が革新されていくのか、その行く末を希望と共にとても楽しみにしています。