道を辿る

昨日は、英彦山の守静坊で暮らしの遊行と巡礼の安全祈願をし霊泉寺、鷹巣観音堂といった日本最古の観音霊場の一番札所に御祈祷をして歩きはじめました。

銅の鳥居の横には、鎮西上人の像がありここでも初心を確認して祈りました。もともと、この鎮西上人は若い頃、飯塚の明星寺から英彦山までの千日回峰行を実行されてます。また、浄土宗の開祖である法然上人の供養を英彦山権現とともに行ったともあります。

もう八百年も前の話ですが、今でも像が建立され語り継がれているものです。

観音霊場巡りでは、今から千三百年前、宇佐の仁聞菩薩と法蓮上人により開創されたとされます。今、こうやってまた歩いていたら先人の遺徳を感じて仕合わせな気持ちになります。

私たちの道というのは、普通に歩いていますが自分たちよりもずっと前に歩いていた人たちがいる道を同じく歩いているともいえます。

山間の古道を歩いてみても、誰もいませんが懐かしい気配は思いを馳せると実感します。こうやって懐かしい道を辿ることで道は途絶えません。

歩くという行為は単に、ウォーキングをしているのではありません。

道を守り、道を創るのです。

これから国東の六郷満山までの道のりは、道の旅です。

先人の歩いた道を三昧したいと思います。