一線を越える人

昨日まで神奈川から私の尊敬する方が滞在されていました。この方は、若い時から自由に生きていてすべてのことに対して一流の感性を磨かれています。その方がつくるものは、すべて芸術品でそこには一切の妥協もありません。自分というものを知り、自分というものを探して日々に研鑽を怠らない。まるで剣道の達人のような風情を醸し出しています。

最初にお会いした時も、その佇まいは徹底されており二度目にお会いした時は愛や懐、その大きさを感じました。三度目にお会いした時は、愛の深さや厚い優しさ、純粋な生きざま、人間力を感じました。

かつて西南戦争のとき中津藩の武士、増田宋太郎という人物が西郷隆盛のことを「一日先生に接すれば、一日の愛生ず。三日先生に接すれば、三日の愛生ず。 親愛日に加わり、去るべくもあらず。今は善も悪も死生を共にせんのみ」とまでいった言葉があります。

人は人間力を観るとき、その人の器の大きさ、そして一緒にいることでその人の深い愛を感じるのです。自由に生きると愛を生きることになります。そして愛に生きる人に触れると人はその愛の大きさに感動するのです。

人間力を磨き上げていくなかで、人は同時に愛も高めていくように思います。西郷隆盛は「敬天愛人」を座右の銘にしていました。まさにそれを感じる一日になりました。

人は感動することと、感動させるということがあります。人を感動させるというのは、その人が一線を越えていることを感じさせます。この一線とは何か、それは私心を捨てるような一線ではないかと私は思います。西郷隆盛は、「総じて人は自分に克つことによって成功し、自分を愛することによって失敗するものだ」ともいいます。

人は何かのためにという目的を持ちます、そしてその目的はそこにいのちを懸けてでもというものがあります。その人が、それをするのは何かのいのちを懸けているのです。そういう本来の自分というものを持てる人は、自由人であり仕合せな人であろうと私は思います。

人生の中で、同じような生き方や生きざまを志す人に出会い、薫風をいただけることはとてもありがたいことです。子どもたちや未来世代のために、学んだこといただいことをさらに研鑽を積み、還元できるように精進していこうと思います、

ありがとうございました。