いのちの本体

家の庭の景色はいよいよ秋から冬の気配です。鳥の乾いた鳴き声や、枯れ葉に朝露がかかる様子、また無風で何も動かずに冷たい空気、夜空に寒さで揺れる星月などを眺めるととても味わい深いものがあります。

不思議なことですが、加齢とともに秋冬や侘びさびなどの美しさ、夕陽や静けさなどが居心地がよくなってくるものです。いのちというものは、自然のリズムに私たちが合わせています。自然から切り離されて人間中心に時間もスケジュールも動いていますが、心は自然のリズムに沿って心身を委ねているものです。

その証拠に身体も冬は節約し、春は毒を抜き、夏は燃焼し秋は貯えます。これは私たちが自然のリズムに合わせているからです。人間の傍で生きている他の生き物たちも似たようなリズムで共生し助け合って暮らしています。

体の声を聴くことは、心の声を聴くことであり、心の声に従えば、体の声にも従っています。つまりは身体一如であり、自然身体も一如ということです。

だからこそ、心で季節を味わうことや、体で季節を体験することは自然と安らぎ自然の豊かさを直感する大切ないのちの呼吸になります。

私たちはいのちを感じるとき、そこに呼吸があります。深夜に目が覚めて、ふと自分の呼吸に意識を集めてみます。すると、それが自然や宇宙、自然と一体になっていることに気づくものです。私たちは呼吸を通して、自然の一部として共生しており、同時に呼吸によってあらゆる意識と結ばれているともいえます。空気というものは、いのちの本体ともいえます。

どこから出でてどこにか帰る、その扉は空気だけが結ばれ通じているものです。この何もない中に無尽蔵の何かがあるという意識こそ、自然を観察する醍醐味かもしれません。

季節は微細にまたダイナミックに変化しています。その豊かさに感謝しながら、豊かな今を味わっていきたいと思います。