微生物のおかげ

最近、コロナの治療薬の候補にもなっているイベルメクチンのことを深めていますがこの薬の発見にまつわる話に非常に興味がわきます。

このイベルメクチンは、熱帯の寄生虫病の特効薬として年1回の投与で3億人以上を失明の危機から救ったといわれます。この薬の発見は静岡県伊東の川奈ゴルフ場近くで採取した土から生まれれました。約10万種近くという膨大な数のサンプルの中で、実際に駆虫の効果が認められたのはこの大村博士がこの採集した微生物(放線菌)だけだったといいます。

まさにこんなことがあるのかというほどの衝撃であり一期一会の奇跡の出会いです。その御蔭で世界中の人たちのいのちが救われています。この世紀の微生物を発見した人こそ、ノーベル医学生理学賞を受賞した大村智・北里大特別名誉教授です。

大村博士は1935年に山梨県北巨摩郡神山村(現・韮崎市)に誕生された方です。山梨大学を卒業後、上京して夜間高校の教師になるも一念発起して学問の道へと進みます。そして『生命誌ジャーナル』のロングインタビューでもこう書かれます。「昼間は大学で勉強、夜は高校に行って授業をし、土日は徹夜で実験という毎日。資金が足りない時はアルバイトで時間講師もやりましたよ」そして人の真似をせず、研究費は産学連携を通して自分で稼ぎその研究で奇跡の発見をしノーベル賞まで受賞するという異色ずくめの方です。これはもう単に偶然ではなく、努力による実力であることがわかります。

そしてメルク社と交渉し、その当時3億円での提示を突き放し200億円で商談を成立させます。それを北里研究所の立て直しにつぎ込み、構造改革、人材育成に取り組みこの当時、赤字続きで経営難だった北里研究所を金融資産230億円以上の黒字施設にまで回復させています。経営感覚も大変鋭く、人材育成にも長け、もはやコンサルタントです。これはご自身の生き方から磨き上げられた感性だからできる産物であることもも感じます。世間一般的な専門家ではなく、もはや歴史の偉人、上杉鷹山や二宮尊徳に通じるものを私は感じます。さらに医薬品研究者が一生涯に一つくらいといわれているものを26も成功させているともいいます。

話をイベルメクチンに戻しますがこの世の中の微生物(放線菌)で私たちが薬にまでできるのはわずか地球の1パーセントほどしかありません。それを地道に土壌の中から採取し、それを培養して効果を一つずつ時間をかけて試験していきます。地球上の身の回りのあらゆる土の中にはあらゆる微生物がいますが知られていないだけで人体に悪影響のあるものもあればその逆に人体に善い影響を与えるものがあります。これが先人の発見した「腐敗と発酵の原理原則」であり、例えばコロナウイルスのようなものもあればこの放線菌のようなものもあるというのです。人間は、ここから大切なことを学ぶ必要があると思います。大村智先生の言葉にもこうあります。

「私の仕事は微生物の力を借りているだけ。私自身がえらいものを考えたり、難しいことをやったりしたわけではなくて、すべて微生物がやっていることを勉強させていただいたりしながら、本日まで来ている。そういう意味で本当に私がこんな賞をいただいていいのかな、と思います」

そして今もこう言います。

「人のために少しでもなにか役に立つことはないか、微生物の力を借りて何かできないか。それを絶えず考えております」

その想いに微生物も力をお貸ししてくださったのではないかと感じます。日本人は自然と共生し謙虚に今まで暮らしてきました。まさにそこに先人の智慧があり、私たち人類が永続した暮らしができる秘訣があると私は信じています。

私も微生物を尊敬し、微生物を深く愛していますからまた微生物の力をお借りしてこのコロナの世の中で大切なことを学び直していきたいと思います。子孫のためにもこの出会いに感謝しています。

 

場をつくる

人はそれぞれに場をつくる力をもっています。この場は、みんなそれぞれに異なりますがそこに確かな場が存在したことを確認することはできるものです。

昨日、ある話を聴いた中に二酸化炭素の吸収のことがあります。若い木の方が二酸化炭素を吸収して酸素を排出するので古い巨木や古木を伐採して若い木を植えているということがあるそうです。木を見て森を観ずというか、二酸化炭素だけをみたら若い木の方が吸収していきますが実際には古木や巨木は周囲に苔をはじめ多くの植栽が芽生え循環し、見事な生態系を創り出します。その全体で吸収する二酸化炭素の量は若い木と比べてもまったく問題ないほどです。

それにその若い木もそのうちに古木になりますから、古木になれば切って若い木だけを植えるというのは人間であれば労働力として価値のない老人は切り捨てていくというのと同じことです。

老人は、見事な人格を磨かれていけばその周囲には見事な場を創り出していきます。まさに若いものを育て、周囲の自然生態系を活発にし、あらゆる徳を循環させていく場を醸成していくのです。

これは先ほどの古木や巨木も同じく、神社の境内や聖域と呼ばれる山にあるように見事な鎮守の森、つまり「癒しの場」をつくるのです。

この場をつくる力とはいったい何なのか。それはこの木の生き方から学べるものです。

私たちの先祖はそれを悟り、日本全国に信仰と共に素晴らしい場を整えてくれました。それが神社であり、あるいは古民家であり、またあるいは棚田であったりします。

場をつくるのはそこに場があることに気づいた人々です。場があることに気づくからこそそこを守ろうとします。そして人は、その場をつくる仕組みを学び、一人一人が、木のように場を見守り育てていくのです。

それは一つの発達を見守ることでもあり、私が一緒に取り組んでいるギビングツリーの提案する保育の在り方と同じです。木は、まさに一つの場をつくる力を示します。

どんな環境を創造していくのか。

それはその木の生き方、そして杜の在り方から感じ取れます。地球は本来、大きな杜です。この偉大な杜に守られて私たちの生命はこの世で幸福な場を享受されています。

場道家として子どもたちに場づくりの智慧を伝承していきたいと思います。

和楽

昨日は、無事に藁ぶき古民家甦生の御披露目会が行われました。遠方から、またご近所から本当に多くの方々がお祝いをしていただきまさに「和楽」に相応しい一日を過ごすことができました。

まずは古式の祈祷によって氏神様、地域の信仰の神様たちに感謝をし供養をしていただきました。次は厄除けをし結界をはり、参加の方々全員のお祓いもしていただきました。はじまりと終わりにみんなで法螺貝を立てましたが、遠方からその法螺貝で呼応する方がいたりと不思議な体験をしました。

その後は、この藁ぶき古民家の甦生のプロセスを動画で編集したものをみんなで一緒に観てその空間で場を楽しみました。多くの事件に多くの御蔭様が働き、家が甦生し、私たち自身も深く磨かれたことを実感しました。

そしてみんなを歌で元氣にするという志と夢を持つ丸目雅さんに来てもらい、歌を披露していただきました。ギターとの伴奏でカントリーロードも一緒に歌ってみんなで手拍子をして暖かい雰囲気を味わいました。

最後に、家主や私から御餅撒きをしみんなでお福分けをさせていただきました。その御餅はそのまま炭火で焼いたりして和気あいあいと楽しいお時間を過ごしました。そのあとも、人の波は途切れず、地域の方々やいつもこの道を通っている方々、もともとの土地の持ち主の方や子どもたちが来てくださって内覧をし、一緒に映像をみて喜捨をしてくださる方もおられました。

懐かしい「結」というつながりを感じる、よいお披露目会になったと改めて味わい深く感じています。

かつての日本人の先祖たち、また代表的な日本人として紹介されている歴史的な偉人たちはみんなこの「結」によって見守られ育ち、徳を積むことで人々に幸福をもたらしていきました。

つまり、利他に生き、見返りを求めずに徳を磨き続けることに一生を使いました。これによって自分の喜びがみんなの喜びになり、みんなの喜びを自分の喜びにし、それが一体なっていたのがわかります。自利の喜びではなく、利他の喜びこそ結の精神を醸成したのです。

来てくださった方々はみんな「あの家がこんなになるのか」と一様に感激されていましたが、私自身もこの家から本当に多くのことを学ばせていただきました。この半年間、徳を磨き徳を光らせる機会とご縁をいただけたことに何よりも深く感謝しています。

日本人は、暮らしの中に先祖から譲り受けてきた宝珠があります。それを磨きなおすことで日本人の徳は光り輝きます。子どもたちが将来、安心して生きていける世の中にするには今の私の世代がその宝珠をつなぎ、磨き輝かせてつないでいかなければなりません。

本気でやらなければ、誰かがやらなければなりません。まだまだはじまったばかりですが、同志たちを集め、この場、この脚下の実践から子どもたちに徳を伝承していきたいと思います。

 

藁ぶき古民家の甦生~徳の伝承~

今日、無事に藁ぶき古民家甦生のお披露目の日を迎えることができました。多くの方々に見守られ、支援していただき、ここまでくることができました。人の御縁はとても不思議なもので、何かを実現しようと思う時に四方八方から現れては力を分けてくれます。

動機が善であるか、私心はないか、そしてこれは子どものためになるかと自問自答しながらも徳を磨こうと取り組んでいくことでそれを一緒に実践してくださる仲間や同志に回り逢うのです。

このご縁をよく観察すると、ある人は、これからの未来のために必要な情報を取ろうとし、またある人は過去の何かの因果を解決しようと関わろうとし、またある人は、今を生きることを学ぼうと実践しようとされます。つまり、ご縁を活かすというものは生き方や生き様、そして志の輪が広がっていくことをいうのです。人のつながりは、志があってはじめて強く結ばれるということでしょう。

そしてこのご縁は、人とだけではありません。物や家とのご縁というものがあります。今回、藁ぶき古民家で暮らしを甦生する方が振り返りの映像の中でシンデレラストーリーのような話と言っていたのが印象的でした。

このシンデレラストーリーといえば私が思い出すのはプリティ・ウーマンという映画があってその主人公の女性が最初はみすぼらしい様から、紳士の指導によって次第に磨かれて美しく洗練された人物に変化していくというようなあらすじだったと思います。この話は、同時にその紳士もその女性によってさらに徳が磨かれて真の紳士に成長していくという話です。

これは今回の藁ぶき古民家と確かに共通点があります。誰もが価値がないと捨てられていた古民家を拾い、それを磨き上げていきます。この家が今は、美しく洗練された家に変化して甦っています。そして同時に、私自身も家から学び徳を磨く機会をいただき成長することができたのです。

私が古民家甦生をするとき、自分を主語にはしません。家を主語にします、つまり家が喜ぶかどうかを観て取り組んでいくのです。そうすると、家が喜べば私も喜びます。これが逆になると学ぶことができません。

人が学ぶことにおいて大切なのは、自然を主語にしたり、先祖を主語にしたり、徳を主語にしたりと、コミュニティを主語にしたりと、「私」を主語にしないということが大切です。私ばかりをみて、私が私がとなったら磨かれないのです。何を砥石にして自分を磨いていただくか、そこに人は自分の徳や魅力を引き出すポイントがあると私は感じます。

今日は、その藁ぶき古民家のお披露目会。

どのような姿になったかをみんなに見てもらるのがとても楽しみです。子どもたちにも、徳のある家から学び、見た目ではなくそのものが磨かれるとどのように徳が顕現するかを伝承していきたいと思います。

 

安心する社会

人間は自分というものを大切にしていくことで、他人を大切にすることができます。それはセルフブランディングともいい、自分の中のマイノリティを如何に大切に育てていくかということでもあります。

言い換えれば、「自分らしく」生きていくということです。最近のコロナで、自粛警察のように同調圧力をかけてはコロナ感染者をまるでいじめのように全体で追い込んでいく多数の人たちが出るのをみるととてもむなしい気持ちになります。

この同調圧力というものは、日本では村の掟や村八分などといって敢えて問題を避けるためにそこは暗黙の了解で空気を読みましょうという村の管理手法として用いられてきた仕組みです。個性を潰し、意見を潰し、勝手は許さないという強い圧力です。

それによって理不尽でも対話がなくても、みんなでその空気に従おうとする仕組みをつくり村は運営されてきました。この同調圧力によって、かつて真剣に生きた人たち、個性を持って素晴らしい感性を持った人たちのいのちが失われる悲惨な出来事がたくさん発生した故事や物語にはいとまがありません。

今の時代は、個々が自分らしく生きていく生き方が保障されてきています。そういう意味では、今はもっとも生き方や生き様を自分らしく表現し合える時代です。せっかくこのような時代に生まれてきたのに、自分の初心を守らず、理念や信念を貫かずに周りに合わせて問題が発生しないように空気に同調しては自分と他人の心の芽を摘んでいくというのはむなしいことであり子どもたちにはもっと自由にのびのびと個性を伸ばし尊重して見守り、居心地の善い場所を創っていきたいなと感じる日々です。

同調圧力で有名な言葉は「常識」というものがあります。これは言い換えれば偏見とも言い、思い込み、決めつけとも言います。アインシュタインは、「常識とは18歳までに身に着けた偏見のコレクション」といいます。18歳というのはこれは教育を受けてそうなってきたということを意味します。

例えば日本では、すぐに前例主義をとります。前例があれば認めますが、前例がないものはすべて非常識となるのです。私などは、何のためにそれをやるのか、また目的や理念に忠実に取り組みますから非常識なことばかりをやっています。ある人は、自分のことを天才と呼び、ある人は自分のことを奇人変人、発達障害とも言います。

吉田松陰は、信念をもって生きる生き方を通して教え子たちに「狂いたまえ」と指導します。今の教育とはまったく逆でまじめになれですが、松陰はこの道理を理解し自分らしく生きるためにも常識に捉われず信念を貫けといったのでしょう。

スティーブジョブズは、「常識?あ~凡人が仲良く生きるためのルールか!」ともい言っていたといいます。彼はそんな調子だから敵をたくさんつくったかもしれませんが、私たちはその恩恵で今のiphoneをはじめとしたアップルの製品を使うことができているのです。文句を言った人は、そういうものを利用しなければいいのに何事もなかったかのように享受されて使っているから不思議です。

もしも彼らがその時に同調圧力に負けて、村の掟や村八分を恐れて常識に縛られて無難に生きたらどうなったでしょうか。今の新しい世界はなかったように思います。温故知新できたのは彼らが挑戦したからであり、彼らを真に支えた仲間がいたからです。

つまり、本質的に何をしようとしているのか。そして一体、この人の本当の素晴らしさはどこなのかをみんなが尊重し合えるのなら空気を読むかどうかよりも、大切なのは理念を優先して生きていることをみんなで尊重し合う社会を築くことではないかと思います。

それが自分らしく居心地が善い社会を築くことであり、子どもたちが自分のままでいられる安心して信頼し合える社会になっていくと私は思います。古い体質のままそれを破れずに常識を押し付け合う人たちはこの国には大勢います。この空気を読むことが、相手を慮るものであればいいのですが他人に押し付けるようになったらそれは攻撃であり殺人に等しいと私は思います。

他人のことをとやかく言う前に、自分自身がどうであるか内省することがお互いを尊重し合うための真の掟やルールのように感じます。自分の至らなさを学び直しつつ、自分の中にある本当の個性やマイノリティを大切に思いやれる人になるように日々を必死に磨いていきたいと思います。

法灯と宝珠

英彦山にある霊泉寺の本堂向かって右側の宝珠一帯の木材が雨により傷み壊れていたので修繕を報謝させていただくご縁がありました。こういう機会をいただけたことに深く感謝しています。

この霊泉寺を調べると、英彦山修験のはじまりだといわれます。幕末に修験道は神仏習合で信仰を禁止され一気に廃れていきました。この霊泉寺は、元々の英彦山修験のはじまりであった霊仙寺の法灯を継ぎ昭和30年(1955)復興、そして平成元年(1989)には本堂や寺務所、庫裡が完成したとあります。

元々は英彦山は北魏の善正という僧が531年に英彦山内の洞窟に籠り、修行して仏教を広めたことがはじまりです。この時期は日本に正式に仏教が伝えられるよりも7年前ということになり、日本の仏教のはじまりはこの英彦山ではないかといわれます。この善正法師は最初は大宰府に来て仏法を弘めようとしましたが光が日子山にさすのを見て、山中の石窟にこもりその時機まで待つと決め修行をしたことがはじまりです。そして豊後の恒雄という猟師が善正に弟子入りし「忍辱」と名乗り英彦山修験が興ります。

この場所が、現在の玉屋神社がある玉屋窟です。この窟で忍辱は一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠(世の中の人々を救うために役立つ不思議な力を持つ珠)を授かります。その珠は窟の奥から小さな倶梨伽羅(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れたそうです。その珠が出現したことから、それまで般若窟と呼んでいましたがそれを改めて、玉屋窟と呼ばれるようになりました。この霊泉は今でも現存して滾々と湧いています。

その後、有名な修験宗開祖の役小角もここで修行したとされ、以後も義覚・義玄・義真・寿元・芳元(五代山伏)などが続きます。さらに弘仁10年(819)以降、宇佐出身の「法蓮」という行者が堂宇、伽藍、社殿などを造営し、霊山寺と名付けます。

この霊山寺という名前が霊仙寺になるのは弘仁13(822)年、嵯峨天皇より、「日子を改めて彦となし、霊山を霊仙に改め、四方七里を寺の財産とし、比叡山に準じ3千の僧を置き、天台の教えを学ばしめ、70州を鎮めて海宇の豊かなることを祈れ」とお言葉をいただいてからです。そこから900年間、英彦山はますます荘厳になりその信仰圏は九州一円、40万戸にも及んだともいわれます。元禄9年(1696)、英彦山は幕府により別本山と定められます。そして霊仙寺は江戸中期には坊舎800、山伏ら僧衆3000を数えるほどだったともあります。

今ではその霊仙寺は名前を変えて法灯を継ぎ霊泉寺となり玉屋窟から銅の鳥居に場所を移動させこの先にまた興るであろう未来の時機をじっと待ち、この先の修験道や山伏たちの御縁を見守っています。私は、時空や時間を旅をするのが好きですから約1500年以上の月日をその場で味わい、その中でどのような方々がここで暮らし、そして生きたのかに想いを馳せては徳を感じ心を潤します。

現在でも「不滅の法灯」といって比叡山延暦寺で最澄が御本尊の前に灯して以来、1200年間一度も消えることなく灯され続けている明かりがあります。今でもその灯りを道を継いだ志のある方々が偉大であり、その光はいつまでも心を照らします。

この英彦山には、宝珠がありそして法灯があります。

甦生させていくというのは、言い換えるのならこの法灯を守り宝珠を使うことです。私がさせていただけるのはどこまでかはわかりませんが、心の声に従って使命を果たしていきたいと思います。

 

プラットフォームの意味

プラットフォーム(platform)という言葉があります。これはIT用語としては、アプリケーションやソフトウェアが動作するための土台を指します。一般的には、モノやサービスなどがつながる場とも定義されます。そもそも「プラットフォーム」の語源の原義は「一段高くなった平らなところ」という意味です。この原義から「プラットフォーム」の別の意味が生まれていったといいます。

これを日本で考えてみると今では「舞台」が近いように思います。そしてそれは別の言い方では「場」とも言います。どのような場になっているか、そこに○○プラットフォームという言い方をするようになったのではないかと思います。

私の考えているプラットフォームは「繋がる場」ということになります。どのような繋がる場を用意するか、場に繋がる環境を整えていくか、そこにプラットフォームを創造し磨いていく面白さがあります。

つまりプラットフォームを提供するというのと、場を提供するというのは同義であるように思います。

私は場の道場を運営していますが、場づくりと場の提供こそ道の本質となります。どのような道を歩んでいくかを設定していくにもこの「場」の提供は欠かすことはできません。

何かをやり遂げたいと思うと、まずは「場」を産み出すこと。そしてその「場」を通して繋がること、さらにその「場」を結び合うこと。これによって場と道は実践され永続的に循環されていきます。

この「場」とは、先ほどの「プラットフォーム」であり、こういうものを具体的なアナログでの場で実現させるのと同時にデジタルの空間の中にプラットフォームを実現させようと試みているのが今の私の取り組みということになります。

人類はこれからどのような場を創造しくかにかかっていて、そこには理想や哲学や初心が入っているものでありその価値観を結び合わせて居場所をどう醸成していくかにかかっているのです。

そしてそこには、自己組織といったDAOの考え方、またスマートコントラクトといった透明性、ブロックチェーンの持っている特性が活かせるのです。そして私は世界に古来からある「徳」に着目し、徳を循環させることでいのちもまた甦生していくことを発見しました。

私が実現したいプラットフォームは、徳のプラットフォームであることはこのブログでもたびたび発信してきたものです。古民家甦生もまたその場の創造をアナログで実現してきたもの、そしてこれからデジタルで場を創造していきます。

ハイブリッドに取り組むのは、暮らしフルネス™を創造して提供しています。子どもたちのために、未来の世代のために挑戦を続けていきたいと思います。

素直さの意味

人間はみんな我があるものです。この我とは、一つは欲であり一つは情です。他にも細かく言えば我ばかりですがその我があるから真実や本質が見えにくくなっていきます。なぜこうなっているのかと、真摯に洗い清めて透明になるまで磨き上げていけば真実は見えやすくなりますがその間に様々な穢れがこびりついてきますからどうにも本当のことがわからなくなります。

そうなると、人は「素直」であることができません。素直というのは、単に従順になることではないことはすぐにわかります。他にも、ただ性格が良いことだけを言うのではないこともすぐにわかります。

素直さというのは、ある意味で無の境地であり、謙虚に我が省かれている状態であり、何か偉大な自然と直につながり直観が働いている心境であったりのことです。

つまり何物にも囚われない澄んだ心の姿勢の時こそ、人は素直になっていると言えます。人の話が素直に聴けるというのは、人の言うことを単に逆らわずに聞くことではなく心が澄んだ状態であるがままのことを聴けるということです。

よく他人に質問して何かを訊いているのに話をまったく素直に聞かない人がいます。それは自分の我があるからですが、素直ではない状態だから訊かないのはすぐにわかります。自分自身の心が澄まないので、澄ませていきたいと思って訊くのならその人は謙虚ですから素直に近づいていくこともできるかもしれません。

しかし最初から我が強く出て自分の思い通りにしたいと思っているのもがあるのなら、本当のことを素直に直観できる感覚はそこで働いていないと私は感じます。

素直さというものは、直観力であり、そして浄化力であり、研磨力でもあります。どれだけ研ぎ澄ましていくか、そして洗い流していくか、心を清らかにして真実を明らかにしていくかというものであろうと思うのです。

素直にいきましょうと声掛けするのは、お互いに心を澄ましていきましょうという掛け声をすることです。みんなが素直になるのなら、本当のことがわかり本質のままにお互いに協働して助け合い、清々しく明るく物事に取り組むことができます。

つまり素直にという意味は、「清々しく明るく」いましょうということだと私は思います。人間は、常に相手がどうかではなく自分が澄んでいることが重要です。そうでばければ、この世にいて本当に起きている事象や出来事、ご縁を理解していくことができなくなるからです。

日々の喧騒や荒波、濁流の中であっても深海のような静けさ、水面の鏡のような美しさを保ちたいと思います。子どもたちのためにも、むかしからある日本人の智慧を伝承していきたいと思います。

参道の甦生

先日、福岡にある英彦山の参道を歩いて社殿まで訪問する機会がありました。雨が上がったすぐ後だったので、濡れた石や岩、そして砂利から清浄な雰囲気が醸し出していました。

雨垂れによって、石のあちこちに小さな穴がありました。長い年月をかけて、木から滴ってくる雫が石に落ちることでこれらはでてきます。参道は、長い年月を経た美しさに満ちており参拝する往来で私たちは悠久の歴史を感じ、自然の持つ壮大な営みに触れて様々な執着が取り払われていくようにも思います。

参道でウィキペディアを調べるとこうあります。

「参道にある灯籠、常夜灯はもともとは仏教寺院のものであり、平安時代以降、神社にも浸透したものである。また参道に敷かれる玉砂利は、玉が「たましい(魂)」「みたま(御霊)」「美しい」という意を持ち、砂利は「さざれ(細石)」の意を持ち、その場を清浄する意味を持っている。敷くことによってその場所を祓い清める意味があり、なお参道を進み清浄な石を踏みしめて本殿に進むことによって、汚れた身を清め心を鎮めて、最高の状態で祈りが出来るようにしてある」

この参道という仕組みは、とても大切な智慧であるように私は思います。目的地についていきなり参拝ではなく、そこまでの道を歩かせるという智慧です。

私たちの人生は、歩くことと似ていて目的地に向けて自分の足で一歩一歩と進んでいきます。乗り物にのって簡単に目的地にたどり着くのではなく、まさに自分の身体だけを使い歩いてたどり着いていくのです。

歩いては拝み、また歩いては拝むという繰り返しで私たちはその日その日に発生した穢れを祓って浄化して甦生し続けていきます。魂はもともと透明であり、その透明に様々なものが纏わりついていくのでそれを透明にし続ける智慧が必要なのです。それを繰り返すためには、砥石のようなものが必要で私たちは研磨することでまたもとの状態に回帰していきます。

もとの状態というのは、神様と一体になっている姿であるともいえます。言い換えれば、赤ちゃんのときの自分です。赤ちゃんのままの魂でいられるように私たちは様々な体験をしてもその本体をいつまでも忘れないようにしているのです。

魂とはここでは玉石のことで、玉石を磨き合いながら研ぎ澄ませて心身を浄化するということ。それを美しい参道を歩むことで思い出しているのです。そして参道を囲み見守る宿坊での暮らしは、まさに先達が実践するこの世での歩み方の体現であり、私たちはその先人の知恵や精進の姿に生き様を見直し参考にしまた現世でのあり方を磨いていくのです。

修験という山の参道には、私たちの生きる道、生きるための智慧が遺っています。

参道の甦生は、人々の生き方の甦生です。

子どもたちのためにも、美しい生き方を参道によって伝承できるように取り組んでいきたいと思います。

お手入れの循環

最近、捨てないということについての動きが活発になってきています。資源が枯渇してくればくるほど、資源のリサイクル化は進んでいきます。しかし実際には、膨大な量を生産していれば捨てなければこの世はまるでゴミ溜のようになっていきます。

現在は、資本主義経済を循環させることが大前提ですから両立するというのは如何に経済を回すかということですがそれでは本当の意味で解決することはありません。

私は捨てないということよりも、本物にするということだけで十分解決すると感じています。

例えば、日本には伝統職人さんたちがいます。彼らは、自然物を上手に活かし、里山循環の中にしっかりと溶け込み、自然の一部としての役割を見事に果たしています。藁ぶき職人であれば、その地域の藁やカヤ、葦などを用いて家の屋根を葺きます。また左官は田んぼの土などを活かして土壁を塗ります。また森林を手入れし炭焼きをし、大工さんらはその木を用いて家を建てます。竹の手入れによって数々の暮らしの道具を人々はつくります。かつて、私たちは「何が本物であるか」を知っていたのです。

その時、私たちは捨てるのでもなく作り続けるのでもなく「手入れする」ということだけに専念したのです。

私は今の時代、もしも世界が変わりこの人類の方向性を導けるとしたらこの「手入れ」をするということだと確信しているのです。そのことから、徳積財団を設立し、暮らしフルネスを起草し、「お手入れ」のための活動と実践をこの地から発信しています。

物を大事にすること、もったいなくいのちをいただき伸ばすこと、このすべては「お手入れ」する心から育つものです。自分の心をお手入れし、身体をお手入れし、そしてお導きやご縁にお手入れする。当たり前のことかもしれませんが、自然はみんなでお手入れをすることで循環を守り続けてきたのです。

現代はこのお手入れの反対のことをみんなでやってます。やりっぱなし、なげっぱなし、捨てっぱなしで作りっぱなし、これがゴミの正体であることに気づく必要があると私は思います。

日本にはそもそもゴミという概念がありませんでした。八百万の神々の一つであり、それが他の神様のお役に立つ大切な存在でした。だからこそ、ここ日本からこの思想や生き方を伝道していくのが今の世代の使命だと感じています。

子どもたちがこの先、100年後、1000年後、どれだけの自然に見守られているのか。自然の回復力と人間の魂の真の成長を信じて、子どもたちのために日々のお手入れ、修繕を伝承していきたいと思います。