使命の全う

昨日からハーバード大学で修験道の研究をされているカナダ人の方がBAに来られています。色々と情報交換をしていると、この道に入ったことの理由やその哲学などを語り合い豊かな時間を一緒に過ごしています。

もともとこの方が大学生の時に、仏教のことを教えるいい先生に出会ったことが切っ掛けだったそうです。この先生は、仏教の教えとして苦労することの大切さ、そして森羅万象の死について話をされたそうです。そこで価値観が転換し、仏教の道を学び始めたそうです。

その後は、カナダの先住民族の儀式で日本でいうお祓いのような行事に3年間をかけて参加して自分の中の価値観を醸成されたそうです。もう日本は12回目の訪問で、少し前までは出羽三山で研究を進めていたそうです。

このカナダの先住民の儀式をきくと面白いもので、シャーマンが石を火にかけてそれを円の中心に置き、サウナのようにみんなでその中に入ります。その石に、聖水や薬草のような何かをいれてかけてその水蒸気を浴びながら祈る、謳うという具合です。夕方17時くらいからはじまり深夜まで行われたそうです。まるで温泉やサウナに入ったあとのようなととのうような感覚だったそうです。

これを何のためにするのかと聴いたら、先住民族の方々は「甦生するため」とあったそうです。毎週1回、これをすることで生まれ変わることができるという意味だそうです。

この感覚は、私の取り組んでいる暮らしフルネスの「お手入れ」と同じです。私も、生きていたら日々に穢れもくすみもでてきます。それは物事が分化して複雑になっていくからこそ、初心に帰るように原点回帰していくためにも行います。

掃除も同じく、洗濯も同じく、使うと器が汚れるからそれを濯ぎ洗い拭いて仕舞うのです。私たちの心身は器ともいえます。その器には何が入っているのか、それをある人は心ともいい、またある人は魂ともいいます。どのような呼び方であっても、私たちは器に盛られた一つの存在です。

どのように生きるのか、器と一緒にどこに向かうのかは自分で決めることができます。どの時代においても、先を観て何が大切なのかと伝承してきた人たちは古から知恵を受け継いで現代も暮らしをととのえています。

暮らしがととのうことは、人間が自然の叡智をもって自然と共生し平和を保っていくことです。人間がこの甦生や生まれ変わりをしなくなれば、そのうち穢れも積もり悲しい出来事が増えていきます。

苦労も死も、私たちがどうにもならない諦観を持つための材料として存在します。何を諦めて、何を諦めないのか。現代のように人間中心の世界や社会が広がるなかで、どのような空気を吸っているのか。私たちは蓮の花のように汚泥で美しい花を咲かせる時、先人の偉大な徳を感じるものです。

子どもたちのためにも、自分の使命を全うしていきたいと思います。

戦争の本質

戦争の足音が少しずつ身近に迫ってきています。こういう時にこそ歴史を直視して、なぜ戦争が起きるのかということを見直す必要があるように思います。私たちは、戦争は国家が起こしているもののように思っています。しかし、この国家というものの正体はとても曖昧なものです。

そもそも集団というのは曖昧で、集団をコントロールするものがあってはじめて集団は存在します。人々は集団ではなく一人一人の意思があって存在するものです。その一人一人の意思があれば戦争は未然に防げるものです。

もっとも危険なことは、集団に依存し一人一人が考えなくなることかもしれません。一人一人が、真摯に考えて戦争の意味を深めていけば誰かの操作されることもコントロールされることもありません。

戦争は人間が起こすことだからこそ、人間がなぜ戦争を起こすのかを深く見つめる必要があります。誰かの利益が誰かの不利益になるからこそ、利益を得たい人たちが戦争を利用するともいえます。その戦争を利用する人たちが、国家というものを持ち出し、国民を使って利益を確保しようと戦争にしていくのです。

利益と不利益、争いはいつまでもなくならないのはその権利を奪い合う構図がなくならないからです。哲学者のサルトルが、「金持ちが戦争を起こし貧乏人が死ぬ」とも言いました。

権力者になるということが戦争をいつまでも終わらせないのです。そして守るための平和、平和であるための武ではなく、武を権力を維持するために使うのが戦争なのです。動物たちが行う戦争は、あくまで生きるため、そして守るためです。権力を永遠に維持するためではありません。

ダライラマ法王はこういいます。「たいていの軍事行動は、平和を目的としています。しかし現実の戦争は、まるで生きた人間を燃料とした火事のようです。」と。

ひたすら燃料を投下しては、燃やしていく。何のためというと、そこに権力や利益があるように思います。そして内村鑑三はこういいます。「戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとはかつて一度もあったことはありません。」

生まれたばかりの赤ちゃんが戦争をしたいとはいわないものです。誰かに助けられなければ生きてもいけない自分が誰かを殺そうとはできないはずです。助けてもらってこの世に私たちは存在しているともいえます。

助けれてきたいのちだからこそ、助け合う社会をつくることが仕合せになります。産まれたままの赤ちゃんのまま死ぬまで助け合って生きられたらそれが平和であろうと思います。

原爆の日である今日は、なぜ原爆がつくられ落とされたのか、色々と考えを巡ります。子どもたちのためにも平和について伝承していきたいと思います。

 

時代の順応力

昨日、友人の自宅で野草を使った料理を食べてきました。特に美味しかったのは、ベニバナボロギクで春菊のような味でしたがもっと深みがありご飯がとてもすすみました。

昨年から英彦山に関わりだしてから山野草のことを気にかけることが増えてきました。もともとこの山野草を上手に暮らしのなかで活かして薬草や食用のものを使い分けていたのも山伏です。山でしか取れないもの、また季節的なもの、あらゆる野草が存在します。

現代は、栽培できるものが中心ですがむかしは野に生えているものを採取してきてはそれを食べてきた歴史があります。今でも土筆やフキ、ヨモギなどはすぐに取ってこれますが山野にはさらに薬効があったり美味しかったりするものもあります。

そもそも植物というのは、気候変動の変化を上手に適応して生き延びてきました。動物たちは、気候変動で逃げることができても植物たちはその場所で順応していく必要がありました。これを順応力ともいいますが、見事に環境に適応していくのは素晴らしいものです。

以前、東京のマンションで育てていた観葉植物なども福岡に移動してきました。それが今でも元氣に過ごしていて環境の変化に順応しています。置かれている状況も環境も一変してもなお、その場所で見事に適応していくことができます。

人間も長い時間をかけて慣れていくように、習慣化して変化していきますが植物もまた変化を已まずに年々の環境変化に順応を続けているのです。よく考えてみたら温暖化で気候も変化し雨も激しく、災害も増えています。人間がさらに植生を壊しますから山でが鹿などが増え環境は悪化の一途をたどっています。しかしそれでも見た目は同じようにみえても、着実に変化して順応していく。

この順応力の高さは見事なものです。この順応力を取り入れてようとして人間は植物から学んできたのかもしれません。そしてその力を肖ろうとしては、それを薬にして取り入れたのかもしれません。

せめて自分の住んでいる周囲や、関係するところの田畑の野草は食べることや薬にすることで共生関係を結んでいきたいと感じました。

子どもたちに、先人たちの知恵が伝承できるように私もこの時代の順応力を磨いていきたいと思います。

知恵風の知識

ソクラテスという人物がいます。わかっている範囲だと、古代ギリシアの哲学者。アテネに生まれる。自分自身の「魂」(pschē)をたいせつにすることの必要を説き、自分自身にとってもっともたいせつなものは何かを問うて、毎日、町の人々と哲学的対話を交わすことを仕事とした人とあります。

有名な名言に、「無知の知」や「徳は知である」などがあります。特にこの「無知の知」(または「不知の自覚」)は自分に知識がないことを自覚するという概念のことです。

これは「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」という意味です。これはある日、友人のカイレポンから「アテナイにはソクラテスより賢い者はいない」と神託があったことを知り、自分が一番の知者であるはずがないと思っていたソクラテスはその真意を確かめるためにアテナイの知識人たちに問いかけを繰り返していきます。そしてその中で「知恵があるとされる者が、必ずしも本物の知恵があるわけではない。知らないことを自覚している自分の方が彼らよりは知恵がある」と気づいたという話です。

私はこれは知識の中には知恵はなく、知恵の中にこそ真の知識がある。みんなが知識と思っているものの中には知恵がなかったということでしょう。

これは現代の風潮をみてもわかります。最近は特に、自分で体験せずに知識を得たい人が増えています。実践も体験もせず、気づいたこともなく、気づいた気になれるもの、わかった気になれるもののためにお金を払って知識を購入しています。

お金持ちは時間がもったいないと思い、体験しなくてもその知恵をお金で買おうとします。しかしその知恵は、知恵と思い込んでいるもので本当の知恵ではなく知識です。知識を知恵と勘違いしているからそういうことをしようとします。

オンラインでの講習会や、流行りの講演にいっても知恵のように知識を話していますがその知識は使おうとすると知恵が必要です。しかし知識が知恵になることはなく、知恵だけが知恵になるものです。知恵は知識にはなりますが、それはあくまで知恵を知識にしただけで知恵ではありません。

なので知恵者とは、徳のある人物のことであり、徳を生きるものです。これは世の中のハタラキそのものが知恵であるから使えています。

例えば、二宮尊徳はある知識のある知識人が訪ねてきたときに「お前は豆の字は知っているか」と尋ねた。それでその知識人は紙に豆の字を書くと、尊徳は「おまえの豆は馬は食わぬが、私の豆は馬が食う」と答えたという逸話があります。

これは知恵についての同じ話です。

私は本来の革命は、知識で起こすものではなく知恵がハタラクものであると思います。人類を真に導くには、文字や文章、言葉ではなく知恵が必要なのです。知恵風では真に世界は変革しないと私は経験から感じています。私が「暮らしフルネス」にこだわるのもここがあるからでもあります。

生き方と働き方というのは、単に知識で理解するものではありません。体験して気づき実感して真似ることで得られます。子どもたちのためにも、今日も実践を味わっていきたいと思います。

知恵の甦生

知恵というのは、もともと知識とは異なり使っている中でなければ観えないものです。つまり止まって理解するものではなく、実践したり体験する中でこそはじめて実感でき観えるものともいえます。

例えば、昨日、暮らしフルネスの一環で滝行をしてきましたがこの滝も流れる中でしか滝のいのちを感じることはできません。いくら口頭で滝の話をしたとしても、滝が持つ徳は滝の中ではじめて活かされるものです。

さらには、この滝が知恵として感じるためにはその滝をただの文字や言葉だけにしない知恵の伝道者が必要です。この伝道者は、その価値を知り、その価値を学び、その知恵を正しく使い続けてきた人でなければなりません。

むかしから伝統の職人たちのように、意識を継いでいく人があってはじめてその真の技術が温故知新されアップデートしていけるようにその本になっている知恵が伝承されなければ伝統はつながりません。

つまり知恵こそ伝統の本質であり、知恵を活かす人こそ真の伝承者ともいえるのでしょう。

時代は、時代と共に時代の価値観があります。戦国時代の知恵の活かし方は平和な時代は使えません。その逆も然りです。つまり時代に合わせて価値観が変わっていくのですから、知恵はそのままに使い方や仕組みは変える必要があります。

先ほどの滝行も同じく、一昔前の使い方をしていても知恵が伝わりません。知恵を伝えるには、今の時代の使い方、活かし方が必要になるのです。これは意識も同じです。現代の知識優先の考え方を意識優先の生き方に換えていく。そうすることで、眠っていたり忘れていた知恵が甦生していきます。

知恵の甦生は、人類のこの先の未来、子孫たちの永遠の仕合せには欠かせないものです。地球がバランスを保つように、人類もまた長い歴史の中でバランスを保っています。この時代は、バランスを保つために舵をきる必要がある時代でもあります。

子どもたちに真の知恵が伝道していけるように、暮らしフルネスの実践を積んでいきたいと思います。

今を守り続ける

私たちが存在している今というものは、過去も未来もすべて混然一体になったものです。つまり一つのものです。その一つのものを今という認識をしますがこれは今を変化し続ける存在であるということです。

その「今を保つ」というのはどういうことでしょうか。

それは今を常によりよくしていくことに他なりません。今をよくしていくというのは過去にも未来にも執着せずに今を創り続けていくということです。そのためには、どのような未来にしていくか、そして過去はどのように積み重ねて体験してきたか、その連続と継続の中の意識が重要になります。

今の意識をどのように保っているか、それが今を保つということです。今というのは意識です。この意識を一瞬一瞬何に傾けているのか。意識を変えていくというのは、目には見えないハタラキを動かしていくということに似ています。

この世の現実というものは、その物質、意識、両方が活動して顕現してきます。この現実の世の中においてどのような意識を保つのか、これは一つの生き方の実践です。

意識というものは、目には見えませんが人づての意識を通してそれがいつまでも受け継がれていきます。伝承者たちがその意識の存在を受け取り、それを磨きその時代に相応しいものに変化させていきます。そうやって常に意識を新鮮に保つことで、意識が甦生し続けて新しくなります。

私たちの身体が生死を繰り返して新しくなっていくように、意識もまた生死を繰り返して新しくなっていくように私は思います。そしてこれは、身体感覚との調和によって結ばれていくように思います。この結びは、かつては「むすひ(産魂)」ともいいました。万物のいのちが衰えて失われそうなときに甦生させる古来からの知恵です。

私の言う、甦生でもあります。この甦生は、徳を磨くことで行われます。そしてこの徳を循環させることであらゆるものが結ばれていきます。暮らしフルネスもまた同じ仕組みです。この方法や仕組みは私がつくったものではなく、むかしから日本に伝承されてきた仕組みを今の時代ならどの道具でやるのかということを温故創新しているに過ぎません。

今は、自分自身と意識が結ばれ続け、世界全体の意識と結ばれ続けていくかで由ります。縦軸と横軸が結ばれて、円環していくかのような感覚です。

子どもたちがいつまでも仕合せな暮らしが続けられるよう、今を守り続ける力を結び甦生させていきたいと思います。

苦労の真価

昨日、聴福庵に来庵された方から「苦労をお友達にする」というお話をお伺いするご縁がありました。これは苦労は嫌いになったり逃げたらいつまでも追いかけ来る、だから苦労とお友達になっていこうとするのが人生にとって仕合せになる大切なこととお話されていました。これはこの方の座右の銘でとても深いお話でした。

苦労はみんなが嫌がるものでもありますが、お友達になっているちに苦労が好きになり、苦労がいることで仕合せになると感じられるようになったらもはやそれが最上の喜びになるというのもわかります。苦労する喜びを味わえる人になったとしたらそれはもはや人生の達人です。

その方のお話ではかつての古い時代、日本人は苦労をよいこととして受け止めていた人が多かったと仰っていました。若い時の苦労は買ってでもせよという格言もあります。その苦労は人生に大きな役に立つからとの教えもありました。苦労するからこそ幸福になるという言葉、つまり苦労こそ幸福であるという意味になります。

その苦労とどのようにお付き合いしていくか。辛いこと、嫌なことになると本当に毎日がそのような日々になります。そこを見方を転じて、苦労させてもらえる喜び、苦労があったから今があると、まるで人とのご縁のように丁寧に一つ一つ関係を結んでいくことがよりよく生きるための知恵であることもわかります。

教えていただいたその方の生き方を拝見していると、本当に苦労を厭わずに真心を生き、日々を充実し、感謝で満たされておられました。徳を纏われ、みんなに慕われ、歳をも感じさせない溌溂として元氣が漲っておられました。

生き方というのは、こうやって歳月を積み重ねることで素晴らしい結果になっていることを知り、努力をさせてもらえる喜び、苦労できるほどに心から好きなことに取り組めたことに感謝の気持ちが湧きました。

一つひとつ、一人一人のご縁があるから今の私があります。

心に響く言葉や教えを胸に、丹精を籠めて歩んでいきたいと思います。

 

思いを纏う

人はいろいろな人の思いと共に生きています。今の自分は、個人的な自分というだけではなく先人たち、そして仲間たちの思いをそのまま受け継いで存在しています。その思いは、目には見えませんが同じように思いを持つ人たちとつながっていて生き続けています。

つまり人の本体とは何か、それは思いの集積であるということにほかなりません。私たちの器には、あらゆるものが入ります。その入るものをどのように選ぶのか、そして結ぶのか、関わるのか、それをご縁ともいいます。

ご縁を生きていくというのは、この繋がり続ける思いを生きているということです。そしてその思いがあるから私たちはその思いに活かされて思いを醸成してまたさらに繋がっていくのです。

振り返ってみると、思いを誰から誰につないだのか。特にその器としての肉体が生を全うした時、別の器に思いが移動するときに深く結ばれていくのがわかります。一人だけで思いを持ったのではなく、一人一人の小さな思いが集まって偉大な思いになっていきます。その思いが器を乗り換えながら、あるいは器を共有しながら生き続けているのです。

これだけの人口、そして細胞があり、私たちはその思いが宿るものと共にあります。絶対安心の境地は、その思いを継いでくれるものが必ずいると感じることです。自分と同じように守りたいと思うもの、そしてつなぎたいと思う人が現れ、その人が次の人に必ず思いのバトンを渡してくれると確信できるのです。

思いが自分を活かしていると思う時、大切なのは思いが生きているということを忘れないことです。私たちが思い出すという行為もまた、思いのお手入れです。目を閉じて心の中にある思いを思い出す、それがお預かりしている思いでありみんなとつながっている思い。思いはみんなのちからでいのることで必ず何度でも甦生するのです。

思いを纏い、今日も生き切っていきたいと思います。

足半の知恵

昨日は、足半(あしなか)を履いて英彦山を歩いていたら声をかけられました。この足半の草履は、日本人の先人の知恵の一つでいつまでも伝承したい道具です。

そもそもこの足半(あしなか)は一般的な草履の半分くらいの長さしかありません。つまり踵部分がありません。鎌倉時代の文献にも記されていて蒙古襲来のときに九州に来てこの足半を見て鎌倉武士たちの間で流行ったとも伝え聞きます。なので、それ以前からあったということは平安時代くらいから、もしくはもっと以前からあったものかもしれません。

有名なのは、織田信長がこの足半を履いているものが接見の条件になっていたり家臣に褒美として与えたりした話が残っていること。他には西郷隆盛も愛用していたといいます。合理的で知恵を重視した人たちが愛用してきた、日本人の足元を支えた大切な草履だったことがわかります。最近では実業家で民俗学者だった渋沢栄一の孫の渋沢敬三さんが、戦前各地を歩いて足半を300点以上集め研究されていたことも有名です。

よく考えてみると、現代の靴を履くようになったのも明治以降です。まだ100年そこいらでそれまではずっと草履や裸足のようなものでした。私たちは、足の裏から大地のエネルギーを感じていたともいわれます。たまに今でも靴を脱いで直接、大地や土や草原などを歩いていると足元から様々な情報が身体に伝わってきます。

都会ではアスファルトでしかもこの時期は暑すぎて足をやけどするかもしれませんが、山歩きをはじめ田畑などはとても草履や裸足は心地よく感じます。

むかしある方に、歩く健康のことを教わったことがあります。人間が健康を保つには歩くことが一番だということです。地球の重力でバランスがととのい、足裏からの刺激で内臓をふくめ全身がととのっていくというのです。

これは足半を履いて歩くとその価値はすぐにわかります。

日本人はどうしたら健康で長生きし、そしてもっとも自然の身体感覚を得られるかということに非常に長けていた民族です。この民族の知恵は、現代文明の中で消えかけていますが本来はこの知恵こそいつ訪れるかもしれない自然災害などに対する危機への備えになったはずです。

生きる力と教育ではいいますが、本来は生き延びる力だったのは間違いありません。今では生き死になどどこか遠い話、自分とは関係がないようになっていますが野生のものたちは常に生死は隣り合わせです。だからこそ、常に感覚を研ぎ澄ませ、自然のリズムや状態を確認いるように思います。

そしてそれが元氣さを増し、逞しくイキイキといのちを輝かせたのでしょう。今の時代、文明に少し偏っていますが文化や知恵も同じくらい大切にしていくことが子孫を守ることだと私は思います。

子どもたちにもこの足半の知恵をつないでいきたいと思います。

 

危機に備える

世界情勢や気候変動など、色々と変化が著しい時代に入ってきました。昨日も悲しい事件があり、この国が平和ボケしていることを改めて実感しました。そもそも平和ボケというのは、知識だけで物事を考えているということです。本能や直観、野生などを失い、生きる死ぬの自然界のように必死にすべての感覚を鋭敏に研ぎ澄ませて覚悟をもって油断なく生きるのではなく決して自分は死ぬことはないだろうと安心しきっている状態です。

実際にウクライナの進行のときも国民の声は、まさか本当に攻めてくるはずはないだろうとほとんどの人が思っていたようです。同時にロシアの軍の方も、いつもの訓練だろうと思っていたようです。実際には、政治や国同士の間はそれぞれに利権も利害もありますから遊びではなく本気でやりあっているものです。

現在、日本も地理的に緩衝国であり戦争がひとたび起きれば日本が戦地になるような場所で侵略されるかもしれないところです。

テレビやマスコミの情報をうのみにするのではなく、歴史を学び、今、何が起きているのかを今一度自分の頭と心で真摯に考えてみなければなりません。

一番危険なのは、まさかそんなことがあるわけがないという思い込みでしょう。

この思い込みは、正常性バイアスともいいます。想定外の事態でも平穏に過ごすために生じる心のメカニズムです。心の平穏を保つための機能ですが、本当の危機への対策や予防には逆効果になるものです。

むかしからリーダーというのは、危機に対して先に声高に危ないことをみんなに伝えます。誰も大袈裟だとかそんなことはあるわけないと、その人を無視するかご馬鹿にしたり、もしくは不安を煽っているなどといって犯罪者にしたりします。歴史をみても、危機に対して動いているリーダーたちは変人や狂人とよばれるものです。

明治の頃も、吉田松陰などはその最たるもので周囲から頭がおかしいといわれていました。しかしそれでも国難を憂い、誰よりも行動しその危険性を世の中に訴え続けていました。その御蔭で、寸でのところで有志達がたちあがり世界からの侵略に立ち向かう力を持つことができました。

時には牢に入れられ、時には暗殺され、時には罪を着せられてもです。

平和ボケにならないようにするには、みんなが今一度、現実を直視してみる機会を持つことです。そしてその現実に対してどうあるべきかを議論して行動することです。

子どもたちの未来が憂うものにならないように今できることで草莽崛起すべきです。志を持った人たちが、リーダーになりみんなで平和ボケを取り払っていけばきっと仲間たちが未来を導いていきます。

悲しい事件を無駄なものにしないように、この機会と意味を受け取ってそれぞれにリーダーとして立ち上がっていきたいと思います。